2016年05月03日

出雲地方の旅行記(12) - 石見銀山(3)


石見銀山の「龍源寺間歩(まぶ)」への散策の続きです。カタログから抽出した散策マップをこちらに再掲しておきます。


「龍源寺間歩」に至る両側の崖が迫る道の途中のいたる所にも、「間歩」があります。こちらは「新切間歩」で、階段を登り切った右の小さい穴が坑道入口です。



こちらは「福神山間歩」です。


写真の坑道以外に直ぐ横に2か所の入口があります。


各「間歩」には番号が付けられ、600ぐらいあるとされます(こちらを参照)



鉱床は火山の影響で熱水の活動でできたもので、母岩の岩石そのものに銀を溶かした熱水(鉱液)が染み込んで鉱石に変化した鉱床です。隙間だらけの火砕岩に、熱水がしみ込む隙間の数センチが鉱脈になり、この鉱脈に沿って掘り進みました。主に山師(銀山経営者)が代官所の許可を受け自己資金で鉱脈を探査します。鉱脈を見つけると代官所の立ち合いの下で山師が入札を主宰し、実際に採掘する請負人が決まります。



少し鉱脈の話しからそれますが、途中に要害山にある「山吹城跡」へのトレッキングコース入口があります(こちら。奥の山頂が城跡)。


戦国時代に「石見銀山」の争奪戦で、出城として戦の戦場となりました。


もう一つ、目的する「龍源寺間歩」近くに「町年寄山組頭」の「高橋家遺宅」があります(こちらこちら)。「町年寄山組頭」は山師の代表で代官所への取次ぎをしました。




当時の裕福さが分かります。


 
posted by 鎌倉太郎 at 09:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

出雲地方の旅行記(11) - 石見銀山(2)【改訂】


石見銀山の「龍源寺間歩(まぶ)」への散策の続きです。カタログから抽出した散策マップをこちらに再掲しておきます。




散策の途中には墓所やお寺が目立ちました。江戸時代に銀山の労働力の担い手は親の跡を継げない次男・三男以降でした。大東亜戦争時の炭鉱労働者がそうであったように、厳しい労働に対する対価は高かったとの事で、近隣地域だけでなく全国からも人々が集まってきました。実際3千万人ほどがその時代の日本の総人口であった時、約16万人が石見地区に居たそうです。

厳しい労働条件の為に人々は短命であり、全国から集まった人の宗派も多様でした。その為に各宗派のお寺が経ちました。安養寺(こちら)・清水寺(こちら)など多数の寺院の他に墓所(こちらこちら)も残っています。







山に囲まれた狭い谷間に流れる川が氾濫すると、墓所が流される事もあったようです。その為に無縁仏をお祀りするも作られました(こちら)。後で訪問した羅漢寺の五百羅漢もこの事が背景になっているそうです。




一方、大枚な金を得た人も出てきて、お寺へ寄付などをしています。そしてお寺はその人の家紋などを天井に描いたりしました(こちら)。




【改訂】 2016年05月03日 02:30 写真を追加


 
ラベル:石見銀山
posted by 鎌倉太郎 at 13:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月30日

出雲地方の旅行記(10) - 石見銀山(1)


第3日は「石見銀山」の見学でした。世界遺産に登録された直後の興奮から覚めたのか、平日の早い時間だったのか(?、am9時)、「石見銀山世界遺産センター」はあまり人影はありませんでした。このセンターが起点で、バスで徒歩出発地点の「石見銀山公園」に行くのですが、センターのスタッフから公園の駐車場が(朝早いので)まだ空いているだろうとの助言をもらいレンタカーで直接公園へ。

確かに20~30台泊められる駐車場は未だ半分ほどでした(「石見銀山」散策から帰ってきた昼頃にはほぼ満杯になっていましたが・・・)。


さて徒歩で出発するにあたり、ボランティアによるワンコインガイドをお願しました。10名ほどのグループで出発、途中で役人・組頭の遺宅や神社・寺などの歴史的説明を受けながら、緩い登り道2.5㎞ほどを1時間30分ぐらい掛けて散策し、「龍源寺間歩(まぶ)」を見学しました。「間歩」とは坑道を意味します。ボランティアガイドは気さくでリタイア間際の人でしたが、登り道も(慣れているのか)シッカリした足取りで歩調を合わせるには少し頑張らないと・・・(説明地点で止まるので遅れはしませんが)。


さて「龍源寺間歩」とそこまでの散策ポイントについて、今回からガイドの説明を交えながら紹介します。カタログから抽出した散策マップがこちら


下中央の「石見銀山公園」から右上「龍源寺間歩」に向かいます。



こちらこちらが「代官所地役人」の「渡辺家」遺宅(道の左)です。



三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つ「石州瓦」の産地だけあって、立派な家構えです(今でも・・・!?)。近くに番所跡地もあります。



少し進むと木造の小学校があります。世界遺産として紹介されてから学校に通う生徒の数が増えたそうです。静かな場所で教育を受けさせたいという若い夫婦が移住してきているそうです。就職先を心配しましたが、瓦関係の工場などを紹介しているとの事。

更に先に「下河原吹屋(銀の精錬所)跡」があります。幾つかの遺構があります。こちらが想定図。




こちらが毛利家ゆかりの「豊栄神社」です。


戦国時代に銀山の争奪戦があり、最終的に毛利家がこの付近を支配していました。江戸時代には徳川直轄地となり荒れ放題になりました。



この先は次回。


 
posted by 鎌倉太郎 at 11:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

出雲地方の旅行記(9) - 足立美術館(2)


第2日の2つ目「足立美術館(Adachi Museum of Art)」の続きです。



パンフレットによると春はサツキ・ツツジ、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季によって違う景色を楽しめます。近くに住んでいる場合には羨ましい環境です(入館料は安くありませんが・・・年間何度も入館できるパートナーズカードを購入する手はあります)。


庭園は13年連続で庭園日本一を維持しているだけあって、専任の庭師を置きスタッフが毎朝清掃するのだそうです。こちらの様に芝・苔と砂の間も綺麗に分離しています。


(欧米人には好まれそうな気がしますが)私の個人的な感覚からすると、瓦などで仕切らないでもう少し自由に拡がるようにしながら、庭園の形を整えられたら良いと思います。尤も管理が大変になるでしょうが・・・



さて、庭園を一通り散策した後で、本館の2階で絵画を楽しむ事になります。小展示場、大展示場、大観室があります。

小展示場では上村松園(「待月」:こちら)・伊東深水(「春の雪」:こちら)などの美人画を展示していました。




大展示場では榊原紫峰の没後45年での花鳥画展示で、例えば「梅花群禽」(こちら)。



大観室では横山大観のコレクションからの展示で、例えば「霊峰不二」(こちら)。



こちらの公式サイトを参照。

本館は別途陶芸品の展示もあり近代の作家による作品ですが、新館では現代の作家による作品を展示していました。



訪問の目的は日本庭園でしたから、ジックリと時間を掛けて回れたのが良かった。木々の新緑と巧く配置した石などが雨に濡れている様も良く、日本庭園を充分に堪能できました。


 
posted by 鎌倉太郎 at 10:00| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月27日

出雲地方の旅行記(8) - 足立美術館(1)


第2日の2つ目が「足立美術館(Adachi Museum of Art)」でした。米国の日本庭園雑誌による日本庭園ランキングで、初回から13年連続で庭園日本一を維持している日本庭園と横山大観作品の収蔵数で有名です。

こちらは庭園マップで、各庭園の写真へのリンクもあるので基本省略しますが、そこにない点を補足しておきます。




入場・鑑賞ルートは右の新館・横(新館の下)を抜けて本館正面から入場します。「②苔庭」を3方向から見るように進みます。見る方向によって受ける印象がとても異なります。こちらは②の右から撮った景色です。



庭園マップでリンクを張る「⑤池庭」は茶室「寿楽庵」側から撮っていますが、喫茶室「大観」から撮ったのがこちら




茶室「寿楽庵」にある自然を掛軸の絵にしてしまう「生の掛軸」(こちら)から類推すると、こちらの通路の窓枠から見る景色も額縁に入った風景画とする想いがあるかも知れません。





庭園マップでリンクを張る茶室「③寿立庵」の庭は、茶室利用者だけが見る事ができます。そこに行く脇の庭がこちらこちら





少し長くなったので続きは次回。


 
posted by 鎌倉太郎 at 11:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月26日

出雲地方の旅行記(7) - 鳥取砂丘


第2日は鳥取砂丘と足立美術館でした(こちらを参照)。

今回は鳥取砂丘(Tottori Sand Dunes)です。前の投稿で書いている通り、カー・ナビのルート情報が最新で無い為に若干戸惑いましたが、運転としては殆どで高速道が使えたので楽でした。



中東や北アフリカの砂漠と比べると規模は比べ物になりませんが、それでも日本では青森県の猿ヶ森砂丘に次ぐ規模(観光できる場所としては最大規模)です。エリアの案内図はこちら




陸側から第二砂丘列の「馬の背」を見たこちらの写真は、こちらで紹介しているエジプト・アスワンからアブ・シンベル間の280㎞砂漠走破時の景色というより、(訪れた事がないので・・・写真で見る典型的な)サハラ砂漠に近いのではないでしょうか(規模は違いますが・・・生成背景・過程も異なります)。



一方、海側(第二砂丘列の「馬の背」)から陸側を見ると、こちらの奥の火山灰露出地はエジプトでの映像の様に地肌が見えたりします(更に奥の緑はエリア外です)。


中央の窪地はオアシスと名付けられています。ラクダに乗って観光できるので、気楽に砂漠地帯の体験ができそうです。



良い天気だったのですが低気圧の通過中という事もあって、南から(陸から海に向かって)の強い風でした。背後から風を受けながら撮った砂が舞う様子がこちら


GIFアニメーション化したので音がなく迫力に欠けるのは残念。



ここまでは案内図で「現在地」という「砂漠会館」の近くからの映像ですが、エリアの反対側にある「鳥取砂丘 休憩所」から撮ったのがこちら




尚、地元地域を知る教育の一環でしょうか、生徒さんの集団が多数訪れていた事に感心しました。


 
posted by 鎌倉太郎 at 09:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月25日

出雲地方の旅行記(6) - 夕日が撮れなかった須々海海岸の「洗濯岩」


松江城の駐車場から「武家屋敷」や「小泉八雲記念館」がある通りをゆっくりと走って若干雰囲気を味わいながら、こちらで紹介した須々海海岸にある「洗濯岩」を見に行きました。松江から約30分で着きました。



夕日が日本海に沈むシーンを撮りたかったのですが、雲が出てしまい期待した写真になりませんでした。それでも穏やかな海を背景にした「洗濯岩」の風景は心が和みます(こちらこちら。紹介した写真と同じアングルですが・・・)。





松江に戻ってホテルにチェックインした時は既に暗くなっていました。ホテルの部屋は「宍道湖ビュー」ができ、夜景も綺麗でした。


 
posted by 鎌倉太郎 at 09:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

出雲地方の旅行記(5) - 松江城


第1日目の2か所目「松江城(Matsue Castle)」(別名:千鳥城、Plover castle、Black castle)の入口に駐車場(有料)があり、直ぐに見学ができて良かった。日が長くなったといえども既に16時になっていました。松山城周辺地図はこちら



天守閣は木々の間に見え(こちらこちら)、良く維持されているのが分かります。



お城の公園は桜の名所100選に選ばれていますが、その時期は過ぎていました・・・



本丸一ノ門(こちら)をくぐって右を見れば国宝「天守」(こちら)です。





「天守」の中は木組みがシッカリしていて(こちら)、武具なども展示していました(こちらこちら)。





「天守」の地階に井戸があり(こちらの網の掛かった所)、「石落とし」などの仕組みも残っているなど、実戦的な城造りになっているという解説がありました。




「天守」の最上階からは360度の方向が見渡せ、城下町であったであろう市街地や宍道湖の景色(こちら)を見る事ができます。




松江城内には擬洋風建築の迎賓館「興雲閣」(こちら)があります。Wikipediaでは現時点で「閉館している」と記述していますが、平成27年度までの保存修理工事を完了し、訪問時には開館(無料)していました。



 
posted by 鎌倉太郎 at 09:00| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

出雲地方の旅行記(4) - 出雲大社(4)


出雲大社について後2点ほど。

こちらは「十九社(じゅうくしゃ、末社十九社本殿)」です。八足門の東西に2棟があります。


境内の構成はこちら

神在月に八百万の神々が「神議」の会議で出雲に集まりますが、神様は「十九社」にお泊りになります。



もう1つはこちらで、おみくじをこんなに付けているのを見た事がありません。



まだ第1日目ですが、2か所目は松江城の天守閣に登る予定にしていました。出雲からの移動は宍道湖の北側を走り、約1時間ほどで松江城に到着。次回は松江城です。


 
続きを読む
posted by 鎌倉太郎 at 09:00| 神奈川 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

出雲地方の旅行記(3) - 出雲大社(3)


出雲大社の境内・四の鳥居の前には、左右に「大国主大神」に関わる日本神話説話を題材とする銅像があります。1つは「因幡の白兎」で、だいこく様と助けられた白兎の話しです(こちら)。


説話の概要はこちら

第2日目に鳥取砂丘を訪れましたが、途中の道路沿いに白兎海岸(及び白兎神社)などの表示があり、白ウサギに関わる像・土産などが出ていました・・・因幡の国が鳥取県東部とは認識できていませんでした。

因幡の国とする事については諸説あるようですが、歴史学者でない私にとって肝心なのは憐みを施した事(とその結果)の認識でしょう。



もう一つは「大国主の国造り」の説話です。「古事記」の記述がこちら

海の向こうから現れた神「大物主」から、「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)である。丁重に私を祀れば、国造りに協力しよう」と云われて、「幸魂奇魂」の象徴である玉を拝戴している構図です(こちら)。


解説によれば、この「幸魂奇魂」のおかげで国造りという大事業ができたので、幸福になる「縁」を結ぶという事から「ムスビの御神像」と名付けられています。男女関係だけでなく、出雲大社が「縁結びの神さま」と云われる所以でしょうか。



こちらは「素鵞社」です。御本殿を囲む端垣の外側ですが御本殿の真後ろにあり、「素戔鳴尊(スサノオ)」をお祭りします(境内の構成はこちら)。「大国主大神」は日本書紀によると「素戔鳴尊」の息子とも、他書によると六世の孫、また七世の孫とも云われます。


「素戔鳴尊」と「大国主大神」の間の説話はこちら



神話の世界は為政者の国造りの背景を説くという目的もありますが、英雄伝・愛憎劇が散りばめられて面白く楽しめる物語でもあります。ギリシャ神話は一部しか読んだ事はありませんが、これも大きな意味で同じ傾向だったと思います。ただ、色々な名前が出て段々分からなくなっていく傾向も同じでしょうか・・・


 
posted by 鎌倉太郎 at 09:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする