2019年11月24日

京都国立博物館で「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を鑑賞


先日(11月22日)に京都国立博物館で開催していた(今日24日まで!)「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を鑑賞してきました。

佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美_タイトル_s.jpg


佐竹本三十六歌仙絵巻」が海外流出を防ぐ為に、1919年(大正8年)に分割して分担購入されてから100年の流転の末に、かなりの作品が京都に集まったというのがメインテーマです。しかも単に切断されただけでなく、各々所有者の想いに沿って掛け軸として表装(掛幅装)されている点も特筆される点です(例えばこちら)。




見どころ・内容などはこちらのWebページを参考にしてください。また関連して三十六歌仙絵の歴史的な作品も展示していました。例えば一人一人の絵ではなく、(年代的にはあり得ない)全員が一か所に集合している江戸時代の絵図(こちらは鈴木其一による「三十六歌仙図屏風」)など。




22日は首都圏では1日中雨のようでしたが、京都は曇りで高い雲なので雨が降る気配はありませんでした。そこで先ず京都国立博物館の道路を挟んで反対側にある「三十三間堂」に参拝(こちら)。



更に、永観堂 禅林寺の紅葉を見に行きました。永観堂では門前に立っただけで周りからも歓声が上がっていました(こちら)。こちらこちらもご覧ください。








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2019年05月11日

「あしかがフラワーパーク」の大藤まつり(4)


あしかがフラワーパーク」(公式ページがこちら)の「ふじのはな物語(大藤まつり2019)」(2019年 4月13日~ 5月19日)の続きです。「ふじのはな物語」期間中の公園内マップをこちら(pdf)に再掲します。

ふじのはな物語_公園内マップ_s.jpg


今回はライトアップの様子ですが、実はデジカメの予備バッテリーをチョンボで持参しなかった為に、「バッテリー切れ」のカウントダウンが始まっている状況での撮影でした。



点灯は日没前から始まっています(こちら)。



ライトアップすると、特に白藤が鮮やかに浮き出ていました(こちら)。




「Ⓓ大長棚」の様子はこちらです。




「あしかがフラワーパーク」は、米国メディアCNNで10の「夢の旅行先」(2014年、更新2017年)の1つに選ばれています。樹齢143年の藤の房が垂れ下がる様を映画「アバター」の「精神的な木(Spiritual Tree of Souls)」の様だとしています。海外からの観光客も多く見受けられました。


尚、「あしかがフラワーパーク」の公式ページによると(5月10日時点)、「ライトアップ期間を5月19日まで延長開催する」そうです。また、「きばな藤も見頃」になったようです。

開花状況で入園料を設定しています(朝7:00。今の期間は大人~ 1,800円)。何度も通う人の経験談では、「1,800円になったら見頃と判断して見に行く」との事ですが、今年の様に紫藤、白藤、きばな藤が少しづつずれている場合もあるので、その期間は長いかも知れません。



最後に、「あしかがフラワーパーク」への途中で「佐野厄よけ大師(惣宗寺)」(こちら)にお参りしましたが、門前のラーメン屋さんの「佐野ラーメン」は美味しかった。




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2019年05月10日

「あしかがフラワーパーク」の大藤まつり(3)


あしかがフラワーパーク」(公式ページがこちら)の「ふじのはな物語(大藤まつり2019)」(2019年 4月13日~ 5月19日)の続きです。「ふじのはな物語」期間中の公園内マップをこちら(pdf)に再掲します。

ふじのはな物語_公園内マップ_s.jpg



今回も藤の花を含みますが、他の春の花々にも触れます。正面ゲートを入った所には「フラワーステージ」があります(こちら)。花々が敷き詰められています。


藤が盆栽になっているのに驚きました(上掲写真左)。



テーマの所だけに藤が配置されている訳ではありません。色々な景観を楽しめるようになっています(こちら)。




また、こちらの様に色合いにも注意しているようです。




今の時期はこちらの様にツツジも楽しめます。


「ツツジの海」から見た所ですが、写真奥の中央には前回裏側の写真であった「Ⓖ白藤の滝」が、正面からの景色として見えます。



その他の花々もこちらこちらこちらに掲載しておきます(バラはこれからです・・・)。








こちらは「ハンカチノキ」です。「きばな藤としゃくなげの森」にある休憩台の近くにありました。




次回はライトアップの様子です。



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2019年05月09日

「あしかがフラワーパーク」の大藤まつり(2)【改訂】


あしかがフラワーパーク」(公式ページがこちら)の「ふじのはな物語(大藤まつり2019)」(2019年 4月13日~ 5月19日)の続きです。「ふじのはな物語」期間中の公園内マップをこちら(pdf)に再掲します。

ふじのはな物語_公園内マップ_s.jpg



マップのテーマを巡る様にして散策しました。前回からの続きですが、こちらこちらが「Ⓓ大長藤」です。






こちらは「Ⓖ白藤の滝」ですが、逆光を避けて裏側を撮っています。




こちらは「Ⓔ白藤のトンネル」です。




こちらこちらは「Ⓚむらさき藤棚」です。




この時点では既に陽が沈もうとしている時間で、陽光はほぼ横から射していました。「Ⓚむらさき藤棚」は公園内で少し高い位置にあり西向きになっている事もあって、藤を下からライトアップしているような映像になっています。



前回の「Ⓞうす紅橋」や今回の「Ⓖ白藤の滝」など色々工夫をしている様子が窺われますが、半ドーム状にする作業も進めているようです(こちら)。




更に次回へ続きます。



【改訂】 2019年05月09日 17:30 追記、画像追加



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2019年05月08日

「あしかがフラワーパーク」の大藤まつり(1)


昨日(7日)栃木県足利市にある「あしかがフラワーパーク」(公式ページがこちら)に行ってきました。この公園専用にJR両毛線に新駅「あしかがフラワーパーク」ができました。今は「ふじのはな物語(大藤まつり2019)」(2019年 4月13日~ 5月19日)の期間なので、藤の花が中心になりました。



藤の花の開花状況としては、既にほとんどが満開になっていて、部分的には峠を越えている房もありました。「ふじのはな物語」期間中の公園内マップがこちら(pdf)。

ふじのはな物語_公園内マップ_s.jpg



マップのテーマを巡る様にして散策しました。先ず「ⒶⒷ大藤」がこちらこちら




樹齢150年を超えるそうです。開園時(1997年)に樹齢130年で幹回り3m60㎝の藤棚を足利市中心部から移植、この規模での初の成功例になりました。



「Ⓞうす紅橋」がこちらこちら。橋の上部を藤棚にしています。





うす紅の藤はこちら「Ⓘうす紅の棚」にもあります。




さて、残念だったのが「Ⓗきばな藤のトンネル」でした(こちら)。



公園の事前Web情報で、「満開になるのは未だ数日掛かる」と知ってはいましたが・・・、咲いていた部分の写真がこちら



「きばな藤としゃくなげの森」にも「きばな藤のトンネル」はありましたが、満開にはもう少しの状態でした(こちら)。




次回に続きます。



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2019年01月08日

萩・津和野・宮島の旅(8) 瑠璃光寺の五重塔


第3日の2番目(で今旅行の最後)は、山口市香山町にある瑠璃光寺(こちら)の国宝「五重塔」でした(こちらこちら)。







法隆寺室生寺興福寺醍醐寺など何気なく見てきた五重塔ですが(厳島神社でも・・・)、ここは京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものと並ぶ日本三名塔の一つになっています。



この五重塔の建立は1442年で大内氏の領地であり、香積寺と称していました。瑠璃光寺という名称は、陶氏により1471年現在の山口市仁保高野に建立した安養寺が、1492年瑠璃光寺と改められた事に由ります。 つまり別の場所に建てられた別の寺院でした。

所が毛利氏は1604年に香積寺を萩に引寺、その跡地に1690年仁保高野の瑠璃光寺を現在の地に移し、名称もそのまま引き継ぎました。



ここで出てくる3氏は複雑な関係にあります。大内氏の第16代当主大内義隆に対して、(それなりの理由があるでしょうが・・・)家臣の陶隆房(後の晴賢)が謀反。

毛利元就は1555年陶晴賢(隆房から改名)を「厳島の戦い」で自害に追い込んでいます。


添乗ガイドからの示唆で調べたのですが、歴史におけるこの背景に対し更に姻戚関係などの背景もあるようですが詳述しません。



この歴史が分かると、この地に毛利家(萩藩主)の墓所(香山墓所)のある理由も若干理解できます(こちら)。



参道の石畳で手を叩くか強く足踏みすると反響音が返ってきます(「うぐいす張りの石畳」と呼ぶ)。恐らく音が高い石段の段毎に反響が少しづつずれるからではないでしょうか。



サルスベリの樹に途中から松の幹が出ています(こちらの中央部分に注目)。前後関係で松の幹の下部が写真に写らないのではありません。




「枕流亭」と呼ぶ歴史的建物があります(こちら)。坂川の流れにのぞむ湖畔にあったのを移築しています。


土佐藩の坂本龍馬の呼びかけで、薩摩藩の西郷吉之助(隆盛)や大久保一蔵(利通)ら、長州藩は木戸準一郎(孝充、桂 小五郎)や伊藤俊輔(博文)らが会合した場所との事です。



帰路は本州の南海上を通るルートであった上に右窓側であったので、太陽の反射光を受ける形で伊豆諸島(と思われる)の島々を見る事ができたのも初めてでした(こちら)。




着陸態勢に入っている千葉県上空で旧「浸透実験池」(こちらこちらも参照)が見えたのもラッキーで、個人アレンジなら絶対に夜間便にしていた所を昼間便の故です。




今回は現地での添乗ガイドが(旅行会社の添乗員としての役割を果たしながら)、宿の女将には言えないが・・・といいながら、女将の微笑ましい裏話をしたり、歴史的な事も直接的な背景を裏話的な内容も含めて説明するなど、有益な話しが多かったのは好感を持てました。



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2019年01月06日

萩・津和野・宮島の旅(7) 「秋吉台」の鍾乳洞「秋芳洞」


第3日は最初に訪れたのが山口県にある日本最大のカルスト台地「秋吉台」の鍾乳洞「秋芳洞」でした。



「秋芳洞」までの「秋吉台」の風景がこちら


石灰岩柱が数多く見られました。



「秋芳洞」は黒谷案内所側から入洞しました。こちらの洞内図を見ると、一方的な下り道になるので上手い選択であったようです。


観光的にも洞内を観終って休息・土産物購入という流れになり、巧く行くようです・・・(黒谷案内所側に土産物店は殆ど無い)



洞内のチェックポイントでの形状を幾つか掲載します。こちらこちらこちらこちらこちらこちら














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2019年01月03日

萩・津和野・宮島の旅(6) 萩の城下町


第2日の4番目は宿泊地でもある萩市の旧市街でした。毛利氏が治めた長州藩の本拠地である城下町(萩城下町)として閑静な街です(こちらを参照)。




指月山の麓に「萩城」があります(上掲Google地図の左上)。その近くに上位の武家屋敷が集まっていて、こちらの門を通らないと内に入れないようになっていたとか(尤も三の丸部分に当たりますから、前の水路が外堀の役割を果たしていました。更に三角州を構成する川が本当の外堀)。




しかし、明治維新で活躍した下級武士の生誕地は、お城からかなり離れた場所でした(上掲Google地図の右下)。添乗ガイドによると、「関ヶ原の戦い」に西軍として参加して破れた為領国を4分の1に減封されたのですが、家来筋を殆ど減らさずにいたので城下町が大きくなり、下級武士の家並みはお城から離れた位置になったとの説明でした。

萩の観光では夕方日暮れも間近になり屋敷公開の終了時間が迫っている事もあり、屋敷内の見学ができたのは「木戸孝允旧宅」と「菊屋家住宅」だけでした。



広くない地区でしたが、大急ぎで路地から正面の門などを撮りました。以下は敬称を略します。

こちらは「円政寺」で、高杉晋作伊藤博文らと関わりがあったようです(当時は法光院)。金毘羅社でもある神仏習合の寺院ですが、『拝殿には朱色の大きな「天狗の面」がかけてあり、高杉晋作は子供の頃、家人に連れてこの天狗の面を見せられ、物おそれしないように躾けられたという逸話がある』(Wikipediaより)そうです。




こちらは「木戸孝允(桂 小五郎)旧宅」の玄関先の門です。



通用口から入りましたが、武士の家だけあって各部屋はシッカリした造りになっていました(こちら)。




こちらは「菊屋家住宅」で豪商の住まいです。元は中世期大内氏に随身した武士でしたが同氏滅亡後は町人となり、毛利家への貢献により藩の御用達を受けるほどでした。



庭も素晴らしく(こちら)、屋内には当時の品々を展示していました(こちら)。





ただ、全体の(右)半分ぐらいが公開対象だったのは残念でした(こちらを参照)。




高杉晋作生誕地がこちら



近くの広場には像が立っていました(こちら)。




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2019年01月02日

萩・津和野・宮島の旅(5) 津和野【改訂】


第2日の3番目は島根県・津和野でした。津和野にも見どころは多くあると思いますが、今回は「津和野殿町通り」だけでした(こちらを参照)。


津和野は「xxxx殺人事件」といったスリラードラマのロケなどで使われるそうですが(私は殆どTV ドラマは見ないので・・・)、ここで生活している人にとって「津和野で起きた殺人事件が、萩で解決する」という流れは非常に気にしているようでした・・・



「津和野殿町通り」がこちらこちら






こちらは旧大岡家老門と(現在も使われている)町役場です。




道路脇の水路には観賞用の鯉がいっぱい・・・(こちら)




川辺の公園には「鷺舞」のモニュメントがあります(こちら)。神事「鷺舞」はこちらの動画を参考にしてください。






太皷谷稲成神社」も有名ですが、残念ながら観光ルートに入っていませんでした(千本鳥居に関連してこちらなどで紹介しています)。



津和野の辺りは「石州和紙」で有名な事もあり、土産物店にはこんな和紙で作った人形を飾っていました。




源氏巻」というお菓子(土産として販売されているものがこちら)があり、それ自体も美味しいのですが、関連して語られる逸話があります。



江戸時代元禄期の津和野藩亀井家の3代目藩主であった亀井茲親が勅使の接待役を任せられた。茲親は指南役の高家の吉良義央に教えを請うが、吉良は接待の方法を教えなかっただけでなく、逆に愚弄したため、茲親は吉良を斬ろうと決意する。そこへ藩の家老であった多胡真蔭がこれを知って、小判をカステラの様な平たい生地に包んで吉良に進上して機嫌を取り、吉良から茲親にたいして勅使の接待の方法を伝授させ、結果的には藩に騒動が起こるのを阻止した。これを記念して藩では小判の代わりに餡を包んだお菓子を、藩の危機を救っためでたい物として扱うようになった。 』(Wikipediaより)

相手も同じで、江戸城内松の廊下で刃傷にまで及んだ大名があり、その後の話も有名です。



【改訂】 2019年01月01日 18:00 タイトル変更(初歩的なチョンボでした)



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2018年12月31日

萩・津和野・宮島の旅(4) 呉港にある「てつのくじら館」と「大和ミュージアム」


第2日の2番目は広島県呉港にある「てつのくじら館」とその近くにある「大和ミュージアム」でした。

「てつのくじら館」は「海上自衛隊呉史料館」の愛称で、退役したとはいえ実際の潜水艦「あきしお」を屋外展示しています(こちら)。




史料館の中ではペルシャ湾へ派遣された掃海艇の説明をしその装備品などを展示していました(こちら)。


海上自衛隊の歴史の中では朝鮮戦争で掃海支援をしていた事にも触れ、災害時の支援活動を実施している写真の掲載もありました。



屋外展示の潜水艦「あきしお」には3階部分から入艦し、操舵室(こちら)や隊員の狭いベッドの様子(こちら)も見られます。






「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)の「大和」は、言わずと知れた太平洋戦争(大東亜戦争)時の戦艦「大和」です。

ミュージアムの前には戦艦「陸奥」の「41インチ主砲」とスクリューを屋外展示しています(こちら)。




館内には10分の1サイズの「大和」模型が中央にあります(こちら)。




「大和」模型を挟んで片方の1階スペースでは「大和」の解説や製造に至るまでの政治・技術の歴史背景や経緯と共に、完成後の不遇な経過を知る事ができます。
反対側の1回スペースには「ゼロ戦(零式艦上戦闘機)」や特殊潜航艇「海龍」・「回天」を展示していました(こちら)。



「海龍」・「回天」(こちらが回天)は初めて見ました。特攻任務を果たした/果たそうとした人達の想いを思わずにはいられません。




添乗ガイドによると、西日本を襲った2018年台風で、呉は鉄道・道路が寸断され孤立状態になったそうです。復旧がなされるまで暫く港からの補給だけであったと事でした。
今年の旅行に関する投稿はここまでとして、津和野・萩・秋吉台・瑠璃光寺は来年にします。

良いお年をお迎えください。



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