2009年02月21日

エジプト旅行(1):クフ王のピラミッドの内部に入りました!

エジプト旅行の全体行程などについては、前回の投稿を見てください。


ツアー初日はピラミッド見学でした。まずはギザの三大ピラミッド(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照)。

良く知られているように、古代エジプトのファラオであるクフ王(Khufu)、カフラー王(KhafraまたはKhafre)、メンカウラー王(Menkaure)が作ったとされています。また、その脇には王妃のピラミッドや貴族のマスタバ(Mastaba)と呼ばれる墳墓があります。


ギザ(Giza)のピラミッド・エリアと呼ばれている場所には、スフィンクスもあれば、河岸神殿・参道や葬祭殿もあります。サッカラ(Saqqara)の階段ピラミッドの時に云われる、ピラミッド・コンプレックス(Pyramid Complex)を構成しています。






三大ピラミッドについての解説は、下のファラオ名をクリック(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にリンク)してみてください。



この中で、特にクフ王のピラミッドの内部に入りました。1日に300人の入場限定(今回はツアーとして通常コースに入れて予約済み)という事です。
内部の構造は下の図の通り。


クフ王のピラミッド断面図



内部に入るのは、正規の入口(図の⑨、これも本来は塞がれていたのが、偶々崩落で出現したとの事)ではなく、9世紀に盗掘を目的(?)にアル・マムーン(ウィキペディアでは、マアムーン)が開けたという入口(上の図の⑩)から入りました。




写真の斜めの石積みの見えている場所が正規の入口で、人が入ろうとしているのが現在観光で使われている入口。
写真はここまで! ピラミッド内部にビデオ・カメラの持込みは一切禁止です。


上昇通路(図の⑪)入口までは、普通に歩いて入れますが、上昇通路はかなり腰を落として前傾で上っていく必要があります。しかも、降りてくる人との交差に苦労する程幅が狭く、混雑で停滞する事が多かったので、閉所恐怖症の人が出るのではないかと一瞬考えてしまう程でした。

大通廊(図の③、ウィキペディアでは「大回廊」)になると天井までがかなりありますし、幅も上り下りで各々1人分だけはあります。テレビ映像で見たように、大回廊が天井に向けて段々と階段状に狭まっている事も確認できます。

大通廊と王の間(図の①)までは、再び腰を屈め前傾で入ります。その間に、ウィキペディアでいう「控えの間」があります。控えの間は十分腰を伸ばせますので、王の間に入る前に「体勢を整える為の間」という感じでした。

王の間には石棺(ミイラを入れるには小さい?)と思われるものがあるだけ。かなり広く天井も高さがありますが、通風孔(ウィキペディアで「通気孔」)といわれるものや重量拡散装置(図の②、ウィキペディアでは「重力軽減の間」)を確認する事はできませんでした。


見学コースとしてはここまでで、後は逆に戻るだけ。女王の間(図の⑤)へは、大通廊入口近くで閉鎖されていました。下降通路(図の⑧)へも行けませんでした。



東京・丸の内のビル群を見慣れている為か、1辺230mほど、高さ147mほどといっても、クフ王のピラミッドを近くで見ても、大きさの点では特に驚くとか感動するとかの気持ちにはなりませんでしたが、石の数 約230万(吉村教授の計算では約300万)を正確に積上げていく丹念さには驚愕。しかも、紀元前2550年頃といいますから、4500年以上も前という事になります。その頃の技術を用いての構築ですから、単に230万という数字以上の執着心が必要であったのではないかと思います。
勿論、現代でも金や時間・労力を掛ければ可能だと思いますが、モニュメント(墓?)を作るのにこれだけの「投資」ができるかと考えると、ファラオの財力と来世に対する執着心に感心するのみ。



さて話しは軟らかくなりますが、旅行会社発行の「クフ王ピラミッド入場証明書」をもらいました。これ自体は「お遊び」といった所ですが、証明書と一緒のもらった注意書きには、「すべてのパピルスは本物で、手描きにより描かれています。」とありますので、この証明書は数千年たっても判読できるほどに残りそうです。パピルスのお話しは別途・・・・・






近くまで寄ってみたピラミッドは、クフ王のピラミッドだけですが、三大ピラミッドを一望できる(写真1枚に撮れる)パノラマポイント(ガイドブックには展望台という記述をしているものもありますが、何か目立った構造物がある訳ではありません。砂嵐などで埋もれてしまった?)があります。

観光ルートになっていますので、皆が写真を撮ってサイトにアップして見慣れていると思いますが、私も人並みに1枚カシャ・・・・




左から、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の各ピラミッド。右端はメンカウラー王の王妃のピラミッド。


 
posted by 鎌倉太郎 at 21:34| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

エジプト旅行から帰国しました!まずは全体行程から・・・

エジプトへの旅行から帰国しました。古代エジプト3千年の歴史を10日間(実質的な観光の時間は、エジプト内移動を含めて8.5日)で見る事は不可能ですが、遺跡を見るというだけでなくエジプト古代史を専門とする研究者(のアルバイトとして?)のガイド説明も素晴しく、兎に角これまでの旅行では味わえない程に充実した時間でした。


書き尽くせない程ありますので、今回はまず全体行程と全体の印象を投稿してから、順次にテーマ毎・遺跡毎に報告していこうと思います。



成田からの出国ですが、エジプト航空の直行便で約15時間ほど掛かりました。帰国便も同じくエジプト航空の直行便ですが、偏西風に乗ったからなのか12時間程で着いてしまいました。

航路は中国(本土)を北京・ゴビ砂漠北辺上空経由で横切り、カスピ海上空・トルコを通ってカイロに入りました(帰国はほぼその逆)。中東地域(エジプトは普通アフリカ地域とされていますが・・・・)に行くのも初めてですから、この航路も初めての経験です。





エジプトツアーの訪問地は、出発前の投稿で概略を示しています。





ツアー最初の日はピラミッド見学。午前はクフ王・カフラー王・メンカフラー王のギザ・三大ピラミッド地域、午後はサッカラ・ダハシュールのピラミッド巡り。階段ピラミッド・屈折ピラミッド・赤のピラミッドそしてクフ王のピラミッドに至る、ピラミッド建設のアイディア・技術の歴史を知るルートでもありました。

残念な事に、当日のカイロ(ギザを含め、サッカラ・ダハシュールも)地域は強風、三大ピラミッドやスフィンクスはあまりスッキリとした写真にはなりませんでしたし、ダハシュールでは赤のピラミッドから屈折ピラミッドを見るのも(スッキリした天気であればハッキリ見えるはずが)薄っすらといった具合(行程の都合上で屈折ピラミッドの近くには行けず)。実際にも、その日のカイロからルクソールへの飛行機は砂嵐で運行が5~6時間停止されたとの事。ガイドブックでは3月末~5月は砂嵐になるという事でしたが、こんな事も当然(!?)あるのでしょうし、ガイド・添乗員からすると、「こんな程度は砂嵐ではなく、砂嵐になれば1m先が見えなくなる」との事。






ツアー2日目はカイロから飛行機でアスワンに行き、アスワン・ハイ・ダムを見てアブシンベルへ。
アスワンからアブシンベルまでは約280kmもあり、長距離になると観光バス(バンも含む)はコンボイという隊列(といっても車間をとっているので1台で走っているようでしたが)を作って走ります。その為に、特定の場所に決まった時間に集合します(1日に2~3回しかないようです。我々は11:00集合のコンボイに入りました)。最前列と最後列の車両には警官が乗るとの事。後半の日程でカイロからアレキサンドリアへ行く(約220km)際は、コンボイを組みませんでしたが、実際に我々のバスに警官が乗り込みました。
アスワンからアブシンベルへは、ほぼ真直ぐ砂漠の中を突っ切るという感じの景色でした(この日の朝が早かったので、睡眠には良かったですが・・・・)。

実際にルクソール事件のような事が起こる状況には無いとの事ですが、観光立国のエジプトとしては安全さを示すデモンストレーションの意味があるかもしれません。勿論、観光地でも警官が目立ちました(日本であれば警備員という位置づけでしょうか)。しかし、盾を立てて銃身の長い小銃を構えているのを見ると、最初は違和感を覚えたものです。


アブシンベルでは当然アブシンベル神殿(大神殿、小神殿)を見学。アブシンベル宿泊なので、更に、の「音と光のショー」と次の日に朝日が昇るのを見るというフルコースでした。






ツアー3日目はアスワンに(再びコンボイを組んで)戻って、フィラエ神殿(イシス神殿)を見学し、ファルーカという帆掛け舟でナイル川遊覧をしながら(この日はあまり風がなく、引っ張ってもらう事がありましたが・・・・・)、優雅に夕食のレストランとホテルへ。





さて、ツアー4日目はアスワンからナイル川沿いをルクソールに向けて進みました。途中、コム・オンボ神殿とエドフのホルス神殿を見ながら、ルクソールのカルナック神殿を見る神殿巡りの一日(近くにあるルクソール神殿は、翌日の午後に見学)。
アスワンからルクソールへのルートはクルーズ船の運行があり(我々は乗りませんが)、途中の観光地毎にクルーズ船が重なるように係留していたのが印象的でした。






ツアー5日目はルクソール西岸の王家の谷・ハトシェプスト女王葬祭殿の見学。王家の谷では、ツタンカーメン王の墓にも入れました。この時期は発掘の時期では無いとの事ですが、何か緊急プロジェクトだとかで、ある墓の入口近くで発掘作業をしていました。





ツアー6日目はルクソールから飛行機でカイロに戻って、市内のモスクと市場を見学し、その後直ぐにバスでアレキサンドリアへ。


ツアー7日目はアレキサンドリア市内の遺跡群を見学、この時ににわか雨。ツアー1日目の強風(砂嵐?)とあわせ、ガイドにとっても10日間のツアーで両方があった事は記憶になく珍しいとの事。午後は再度カイロまでバスで戻り、夕方にナイル川のディナークルーズでベリーダンスを楽しみました。





ツアー8日目はエジプト考古学博物館の見学。3時間の見学でしたが、やはり時間が足りません!
ミイラ室に入れたのですが、残念ながら2つある内の1つは工事中で、それがラムセス二世などの主要ミイラのある方でした・・・・!
そうは言っても、ツタンカーメン王の副葬品は素晴しい! 王位が短くても(若くして急死であったようですが)これだけのものが墓に入れられていたのであれば、最盛期のファラオの(特にラムセス二世のように長く王位にいた場合の)副葬品はいかばかりか・・・・・


ツアーの前半に歴史的に重い地域・遺跡が多かった事もあり、(朝が早い日も多く)疲れたという印象がありますが、後半は慣れも手伝って楽しい旅になりました。

ツアーの同行の人とのコミュニケーションでも、話題豊富。メキシコ・マチュピチュに行った時の体験談とか、夢のある仕事のアイディア議論とか、ガイドから出された歴史的な謎解きの議論とか・・・・



上に名前を挙げなかった遺跡も多数あり、これから順次に、テーマ毎・遺跡毎にガイドから聴いた(そして確認した)「最新情報」も含めて投稿していこうと思います。



 
ラベル:古代エジプト
posted by 鎌倉太郎 at 15:24| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | 更新情報をチェックする

2009年02月08日

エジプト旅行に出ます!

明日(2月9日)よりエジプト旅行に出発します。帰着予定は2月18日です。その間のブログ投稿はお休みさせてもらいます。


エジプトへの旅行は、添乗員付きのツアーに入ります。久しぶりのツアーで一緒になる人とのコミュニケーションも楽しみにしています。旅行の様子は、帰着後に報告します。


古代エジプトの歴史を確認する旅になりそうで、多くの世界遺産を含めて遺跡などはエジプトツアーで組まれる典型的なコースになっています。

ギザのピラミッドは勿論の事、アブ・シンベル神殿、ルクソールの色々な遺跡群、それにアレキサンドリアにも行きます。


Google Earthに関する投稿で、ツアーの録画機能について書いているので、今回のツアーの主な訪問地・遺跡などをGoogle Earth上で表してみる事にしました。



前回の録画では、マニュアル操作によってGoogle Earthを移動させましたが、今回は、スポット地点を登録しておいてそれを順次自動でたどる、Google Earthのツアー機能を使って画面を動かして録画する方法を取りました。(その方法は、エジプトから帰着後に書きたいと思います)

Google Earthの出力したKMZファイル(40.2KB)をここに登録しましたので、再生できる環境(Google Earthのインストール済み)であれば、ダウンロードしてみてください(そのファイルをダブルクリックで、再生)。


前回も書きましたが、かなり高速のマシンである必要があります。Celeron 3.20GHzでも画面動作が不十分でした。Core 2 Duo 2.66GHzでは確認済み。



そこで、訪問地のスクリーンショットも掲げておきます(各クリックで拡大)。
尚、一応資料で調べましたが行く前に位置の確認をしていますので、誤っている可能性もあります。その時は、別途訂正します。



全体としては、このようになります。


































































 
posted by 鎌倉太郎 at 22:53| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | 更新情報をチェックする