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2010年02月19日

ツタンカーメンの謎を解くDNA調査の結果が発表に

ツタンカーメン王のDNA調査をしているという報道がありましたが、2010年2月16日発行の「Journal of the American Medical Association」誌で発表されました。これまでの勇敢なツタンカーメンの雄姿が、病弱な少年王というイメージに変わるかも知れません。また、父親はこれまでの説の通りのアクエンアテン王でしたが、母親は美しい胸像で有名なネフェルティティという説が覆され、ミイラが「Younger Lady(若い方の女)」と呼ばれていた女性で、(近親婚になる)おばでもあるとの事ですがどのような人なのかは謎のまま。

DNA調査の結果について「National Geographic News」(日本語版)に掲載された一連の記事を下に挙げておきます。記事へのリンクはタイトルをクリックします。

ツタンカーメンの謎、DNA調査で解明【2010/02/17】





ツタンカーメンDNA調査:杖をつく姿【2010/02/17】





ツタンカーメンDNA調査:輝くマスク【2010/02/17】





ツタンカーメンDNA調査:父の真相【2010/02/17】





ツタンカーメンDNA調査:母のミイラ【2010/02/17】





ツタンカーメンDNA調査:画期的成果【2010/02/17】





 
posted by 鎌倉太郎 at 14:32| 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

東京都美術館で開催している「トリノ・エジプト展」に行ってきました!

東京都美術館で開催している「トリノ・エジプト展」(2009年8月1日〜10月4日、更に仙台・福岡・神戸・静岡で開催予定)に行ってきました。イタリア・トリノにあるエジプト博物館の収蔵品を展示しています。


「トリノ・エジプト展」の公式サイトはこちら




展示品は撮影できませんが、公式サイトの「展示構成」からのリンク先に、
 第1章 トリノ・エジプト博物館
 第2章 彫像ギャラリー
 第3章 祈りの軌跡
 第4章 死者の旅立ち
 第5章 再生への扉
という内容で解説の付いた写真(勿論、展示品の一部。全体で約130点の展示)が掲載されています。


しかし、「アメン神とツタンカーメン王の像」のように2mにもなる彫像は、実際に見てみると写真と違ってその迫力は驚きです。3300年も前に作られたとは思えません。

アメン神とツタンカーメン王の像





イビの石製人型棺の蓋





一方で、展示品の左横から見ると、ツタンカーメン王の右手がアメン神の右肩に添えられている(彫像としては、壁から手がヒョコッと出ている感じ)のを見ると、王が神と親密である事を民衆に知らしめる為との事ですが、思わずニコッとしてしまう程の和やかさ(子供っぽさ?)を醸し出しています。


今年の春先には実際にエジプトに旅行して神殿やカイロ博物館を見学しました(本ブログのここを参照)。また、先般は横浜で開催の「海のエジプト展」も見ました(本ブログのここを参照)。

エジプト旅行は、古代エジプト3000年の歴史をたどるような日程で、初めて訪れる神殿の雄大さに触れて、如何に優れた文明であったかを実感し圧倒されました。「海のエジプト展」では、突如海面に没した都市の遺品だけあって、当時の経済活動の状況や優雅さも持った生活感が分かり、アレキサンドリアでは幅広く交易をし民衆も神殿詣で(?)と行楽を併せて楽しんでいた事を知りました。


そして今回の「トリノ・エジプト展」では、死後の世界(来世)に対する再生の願いを神に表現したり祈ったりする行動が、支配階級だけでなく民衆(といっても今回展示の範囲では中産階級でしょうが・・・)までも浸透しているのが分かりました。猫のミイラまでも作る信仰心・愛情には、現代に通じるものがありますネ。

アメン・ラー神に牡羊の頭部を捧げるペンシェナブの像





子供のミイラ






このページに掲載されている写真はすべて掲載期限を過ぎると削除される可能性があります。


 
posted by 鎌倉太郎 at 02:15| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

横浜での「海のエジプト展」に行ってきました

横浜で開催中(2009年6月27日〜9月23日、パシフィコ横浜・展示ホールD)の「海のエジプト展」に行ってきました。「海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝」という謳い文句で、アレクサンドリア沿岸に沈んだ都市の考古遺跡が中心テーマ。






展示品の発掘現場の名前として、「カノープス(Canopus)」、「ヘラクレイオン(Heracleion)」、「アレクサンドリア(Alexandria)」がでてきます。アレクサンドリアは良く知られていますが、他の2つは知りませんでした。但し、何れも古代エジプトの地名としてです。


古代エジプトの都市




上記の地図で各都市の位置が何れも海中を指しているのは、地震により海中に沈んでしまったから。その時期は、8世紀以降の貨幣が見つかっていないので、8世紀頃と考えられています。


まず、カノープスは、カノポスス勅令(The Canopus Decree)から立証されているプトレマイオス朝(Ptolemaic dynasty)におけるセラピス神殿を中心にした宗教的に重要な場所であるとか。

ヘラクレイオンは、プトレマイオス朝より前の末期王朝時代(前7〜前4世紀)からの交易所があった所で、アレクサンドリアに交易を集中させるまでは地中海世界との玄関口。アメン神を祭るヘラクレス神殿が建っていたようです。

アレクサンドリアは、水没した所には宮殿や王宮専用の港、交易の埠頭などがあったといい、水没する以前の古代の岩礁を考慮すると、最良の自然港であったようです。



展示の方法は、発掘した場所別にその役割を示すテーマ毎に展示されていました。海底からの発掘という事で、その技術的な手法について説明・展示があったのも良かった。


展示作品の紹介(カノープス)




特に「王妃の像」は、殆ど等身大でとてもエロチック。「セラピス神の頭部」は、非エジプト人の髪型になっているのは、プトレマイオス朝がギリシャ系ファラオで、エジプトの文化・仕組みを取り込みながら、ギリシャの神とエジプトの神を融合していった典型例。



展示作品の紹介(ヘラクレイオン)




ハピ神・ファラオ像・王妃像はプトレマイオス朝の初期である為かエジプト伝統の形。ネクタネド1世のステラ(石碑)は、ヒエログリフがハッキリみえて最近製作されたような状態なのは、碑文の面が海底を向いていたので海水から保護されていたとの事。ヘラクレイオンの場所を特定する遺跡の近くから発見されたこのステラの碑文の地名から、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが記録していた「トーニス」という地名とヘラクレイオンが同一のものである事が分かったとの事。



展示作品の紹介(アレクサンドリア)




女王クレオパトラのコイン(銅貨)が注目ですが、コインは2cmほどのもので美人(?)像は良く眼を凝らして見る必要があります・・・・・・



5mを超える立像から1cmほどのコイン、神殿への捧げ物から壺などの生活用品、コイン・計量おもり等の交易に関わる品々から兜・矢じり等の武器など、約450点にもなる幅広い展示品と整理された展示方法でこれまでになく充実した展示会であるように思います。


 
posted by 鎌倉太郎 at 16:08| 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

「Jimdo」で作成した「エジプト・旅と探求」サイトに、エジプト探求「エジプト古王国滅亡の謎」を投稿

以前の投稿で紹介した「エジプト・旅と探求」サイトに、エジプト探求の項目に「エジプト古王国滅亡の謎」を投稿しました。


http://tm230517.jimdo.com/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/

via kwout




2009年春のDiscovery Channelで「エジプト王朝滅亡の謎」という番組がありました。内容は、エジプト古王朝の末期にナイル川に何らかの異変が生じて、滅亡したのではないかとの仮説を検証するもの。しかも、メソポタミアでも同じ時期に王朝が滅亡している原因も同じではないかというもの。


ナイル川はエジプト(文明)の母と言われる通り、ナイル川が定期的に惹き起こす氾濫は農業・畜産に重要なものであったはず。この氾濫は、ナイル川の上流にあるエチオピア高原に降る雨によるものですが、これが降らなかったら・・・・

エジプト古王朝は長期間にわたって安定した統治を続けていたのに突然に崩壊します。原因はナイル川に異変があったからではないか? この仮説を検証する為にギザ近くの(氾濫時に水を貯めて、退いた後で利用する為の)湖(又はピラミッド建設用の港湾)の地層サンプルを採取・分析した結果、約4000年前の地層から細砂(風成砂)層が見つかったといいます。数十年にもわたる旱魃があったようです


同じ頃、メソポタミアの南部にあったアッカド帝国も旱魃で壊滅。これは地中海東部の広域の異常気象による事が立証されたのです。


 
posted by 鎌倉太郎 at 17:56| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

エジプト旅行(25):時間と対比による想いでの写真


エジプトの観光史跡巡りには素晴しいものがありましたが、その合間に自然がもたらしてくれる時間に依るいい瞬間もあります。


以前に投稿したアブ・シンベル神殿での朝日は、古代エジプトへの想いを持ちながら、厳粛な気持ちになる瞬間でした。

エジプト旅行(8):アブ・シンベル神殿の「音と光のショー」と朝日に当たる神殿【2009年03月03日】




太陽が昇る、夕日が沈むというタイミングは、色々な景色も見せてくれます。

朝のカイロタワー




夕方のカイロタワー




夜のカイロタワー






アレクサンドリア・エル・サラムレク・ホテルの朝






ナイル川・ナーセル湖の水、ダム・灌漑水路が実現する緑、そして砂漠という3つの対比も、感慨深いものがあります。

アブ・シンベルでのホテルにて(ナーセル湖の対岸は直ぐに砂漠)その1その2










緑の先の三大ピラミッド





 
posted by 鎌倉太郎 at 23:06| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

エジプト旅行(24):エジプトのお土産


旅行での楽しみの1つがお土産の選択。このツアーでも何時もの通り、お土産を選ぶ支援をしてくれるアレンジがされています。
今回は、パピルス、香水及び香水ビン、彫刻工芸品、宝石店などに案内されました。あとは、観光バスの車内アレンジとしてエジプト綿のTシャツなど衣類といった所でしょうか。



パピルス(Papyrus)に古代エジプトの絵柄を描いたものはインテリアとして人気だそうです。こんなお店でしたが、実際に作るまでの行程も(素晴しい日本語で!)説明してくれます。パピルスの茎の皮を水に漬けて柔らかくして、縦横格子状に配置してローラなどで圧縮・脱水・乾燥させて作るとか。パピルスについては、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照。





現在の定義では、「一度分散した繊維を絡み合わせ膠着させてシート状に成形したもの」を紙と呼ぶようで、和紙などはその分類に入りますが、パピルスは正確には紙の分類に入らないそうです。


パピルス自体のサイズが35cm×26cm程度ですと、絵柄によりますが約1500円弱といった所。写真の額縁は別です。持運びには購入時にシッカリした筒に入れてくれます。





パピルスは古代エジプトでは当り前のようにナイル川沿いに生えていたのでしょうが、今では、アスワン・ハイ・ダムの完成で川幅も狭まり、パピルスの入手が困難になっているとの説明。道端で安く売っているのは、殆どニセモノとか・・・

本物かニセモノかは1〜3ヶ月で判るそうで、本物であれば博物館にあるように5000年経った今でも綺麗に彩色が残っています。



香水及び香水ビンのお店では、可愛い香水ビンを作っている所を見せてもらいました。YouTue動画で登録してあります。

エジプト・香水ビン 製造の様子






彫刻工芸品では、ある民家の中を見せてもらうのですが、そこの家業が彫刻工芸品を製造・販売しているというストーリー。アラバスター( Alabaster、大理石の一種。雪花石膏ともいうそうです)などを材料に古代エジプトの神々などの彫刻工芸品を作っているとか。値引き交渉の楽しみも(言い値に対して、50%ぐらいから)・・・

工芸品棚(その1)




工芸品棚(その2)






宝石店では金細工のアクセサリー。カルトゥシュの形をとったペンダント・ヘッドを紹介されました。そこにヒエログリフ(聖刻文字)のローマ字使いの名前を刻んでくれます。ヒエログリフを音読みにしてアルファベットと対応させ、アルファベットのローマ字使いで名前をヒエログリフと対応させます。詳しくはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照。


アルファベットとヒエログリフの対応は下の図の通りです。





「太郎」はアルファベットで「taro」とすると、次の通りになります(アルファベット文字は説明で入れてあります。黒縦線は関係ありません)。





古代エジプトでは名前に枠を付けてカルトゥシュとできるのは、ファラオだけだったそうです。
尚、単に音読み合わせをしただけで、これでヒエログリフが理解できた事にはなりません・・・・



エジプト綿のTシャツなど衣類でも、名前などを入れてくれます。カタログからのメニューを付けておきます。

タイプとデザイン





対応カラーのバラエティー





サイズも各種用意されていました。子供用は1歳から15歳まであり、大人用も各種サイズがありますが、サイズ記号はあくまでも現地の人の体格に対応している事を忘れずに。また、ヒエログリフなどの字数や入れる箇所の制限がありますから確認してください。

もう一つの注意。デザインに入れるヒエログリフなどですが、線は艶やかなカラーを使っています。出来上がりをみると、思いの外にヒエログリフが目立ったように感じました。



最後に、一言。これらのアレンジはツアーに依りますし、紹介される業者も違うと思われます。ここで掲載したお土産品が入手できるか判りませんので悪しからず。


 
posted by 鎌倉太郎 at 00:43| 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

エジプト旅行(23):ツアーでのエンターテイメント

今回のツアーでの楽しみには、古代エジプトの遺跡など観光やショッピングの他、「音と光のショー」やダンスショーなどのエンターテイメントの時間もありました。



「音と光のショー」は、前の投稿でアブ・シンベル神殿でのショーを紹介しています。


「音と光のショー」は、ガイドブックなどでも各遺跡毎の紹介をしていますが、アブ・シンベル以外では次の所で実施しているようです。
  • ガザ・ピラミッド地域
  • カルナック神殿
  • フィエラ神殿(イシス神殿)

夏季と冬季で時間が違いますが、毎日夕方に3回づつ入替え開催しているようです。開催時間帯でナレーションの言語を変えています。多くは英語と仏語ですが、日本語の場合も週に1回ぐらいはあるようです。(時間を含めて、詳細は確認が必要)

各場所での内容も少しづつ違うようです。アブ・シンベルは前の投稿で紹介していますので、他の場所のショーは観ていませんが、YouTubeに登録される動画を紹介しておきます。


私の時も撮影でも編集でも苦労しましたが、各々苦労されているようで、もし撮影をしたいのであれば夜間撮影用のかなり高感度のビデオカメラが必要です(ビデオ持込み料金も必要ですが・・・)。



もう一つは、ダンスショー。多くの場合はディナー・クルーズの食事後の楽しみとして設定される事が多いようです。勿論、個別に見る場があるのでしょうが・・・・・・

今回のツアーの場合は、カイロでのディナー・クルーズの中でベリー・ダンスとスーフィー・ダンスの両方が見られました。ベリーbellyとは英語で「腹部」ですが、腰の部分を激しく踊るダンスです。スーフィー・ダンス(sufi dance)は、ぐるぐる旋回し続ける事でトランス状態を作る為にイスラームの一宗派が行なっているものをステージ化したものとか。


ベリー・ダンス






スーフィー・ダンス






個人的にはスーフィー・ダンスに興味を持ちました。20〜30分旋回し続けていますが、よく耐えられるものと関心・・・・! 客も最後の方で引っ張り出されて真似をしますが、全ての人が30秒と持ちませんでした。



各々のYouTube動画も挙げておきます。


ナイル川クルーズでのベリーダンスショウ





スーフィーダンス





 
posted by 鎌倉太郎 at 16:56| 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

エジプト旅行(22):エジプト考古学博物館(2)−ツタンカーメン王の秘宝

エジプト旅行の全体行程などについては、以前の投稿にあります。



ツアー最終日の8日目は、エジプト考古学博物館見学。前回はガイドによるツタンカーメン王の秘宝以外の展示品についての投稿でした。


今回は、ツタンカーメン王の秘宝について。ツタンカーメン王の秘宝は殆どがカイロ博物館にあり、2階スペースのかなりの広さをもっています。ガイドによるとここ以外では、王家の谷の墳墓にミイラ自体と棺の一部ルクソール博物館に「木製の牛の頭部(一部金箔、目は水晶との事)だけのハトホル神」だけとか。



フロアー地図






ツタンカーメン王(Tutankhamun)の解説は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照(英語版はこちら)。



ツタンカーメン王の秘宝の数々は、TVなどで映像でよく放映されています。黄金のマスク(Funerary Mask of Tutankhamun)[特にビデオはこれ]、黄金の内棺(Innermost Coffin)黄金の玉座(The Golden Throne)カーの立像(Ka Statues of Tutankhamun)アヌビス神(Portable Anubis Shrine)カノポス容器(Canopic Chest)といった所でしょうか。各々名称の部分は写真にリンクしています。



棺は下の図ように何重にもなっています。





外側の箱型棺は金箔木製で、これ。7号室(通路)付近にあります。





これの内側の箱型棺も並べられていました。何れも王家の谷の墳墓には分解・組立てられて(組立て位置を示す印もあったとか・・・)入れられたそうです。

人型棺(第1棺第2棺)も、黄金のマスクと同じ第3号室に展示してありました(第3棺は墳墓にある)。



カノポス容器(Canopic Chest)はカノポス壺(Canopic jar)を入れていますが、カノポス容器自体は更にカノポス櫃(ひつ、Canopic Shrine)に入れられていたそうです。

The canopic shrine




側面のレイアウトでは神々が手を広げて四方を守るようにしていますが、なんと当時の人々の気持ちを良く表している事か・・・・



その他、日々の生活で使っていた品から、装飾品、戦闘時の品(戦車など)、ゲーム盤まであります。

さて、ハワード・カーターHoward Carter)が、カーナヴォン卿(正式には、ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバート、George Edward Stanhope Molyneux Herbert, 5th Earl of Carnarvon)の支援で、ツタンカーメン王の王家の谷にある墳墓を発掘していますが、その記録写真を(独占的に)撮っているのがハリー・バートン(Harry Burton)。



発掘品の写真やその当時の人々・状況を撮った写真(当時はモノクロ)はこちら

その内の幾つかを掲載しておきます。

Burton Photo. No. P0015





Burton Photo. No. P0064





Burton Photo. No. P0129





Burton Photo. No. P0246





Burton Photo. No. P0540B





Burton Photo. No. P1588





 
posted by 鎌倉太郎 at 16:27| 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

エジプト旅行(21):エジプト考古学博物館(1)

エジプト旅行の全体行程などについては、以前の投稿にあります。



ツアー最終日になった8日目は、エジプト考古学博物館見学。この博物館についてはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照(英語版はこちら)。

エジプト考古学博物館の公式サイトはここのはずですが、現状は開けません。



ビデオ/カメラの持込みは禁止(以前は料金を払えば、可能だったのですが・・・・)なので、ガイドの説明があった展示品について、Webサイトで掲載している写真を借用してガイドの説明を付加しておきます。

ガイドのポイントとなる展示品の説明を聞きながら、ざっと見るには2時間でも可能です。しかし、それと同じ展示品だけを見るにしても、ガイドブックの記述などを参考に一点毎にある程度満足するまで見学するには、1日の開場時間を全て使っても足りそうもありません。
今回のツアーでの見学時間は全体で3時間でした。これでも他のツアーから比べると多い方のようですが・・・・・・・



今回のガイドの説明ルートは、古王国時代とツタンカーメン王の秘宝、それにミイラ室に限られていたといってもいいでしょう。実際にガイドの説明を受けたものを紹介しておきます。ツタンカーメン王の秘宝エリアは次回に投稿します。

ガイドから言われた事ですが、これまでの「エジプト各地を見学して勉強した復習」という訳です・・・・・・


年代順に古王国時代から入りますが、まずは博物館の入口から左方向の47号室(通路?)の方向へ進みます(2種類の違う系統のガイドブックで、同じ番号系を採っていますので、恐らく博物館側で設定した番号を流用しているのでしょう・・・)。

1階のレイアウト



入口を入って直ぐ左前にラムセス2世像。エジプト各所の神殿などの建設に関与していますので、アブ・シンベル神殿(投稿はここ)・ルクソール神殿(投稿はここ)など以前の投稿でも紹介しています。今日エジプトが観光立国であり得るのも、このファラオのお陰という事になりますので、年代エリアを超越して入口に設置されているのでしょうか・・・・・・・

Ramses II




47号室内には、エジプトのピラミッド建設に関わったファラオの像。

サッカラの階段ピラミッドを建設したジェセル王(投稿はここ)。

Pharoah Dsojer




もう一体がギザの三大ピラミッドの1つを造ったメンカウラー王の像(投稿はここ)。第3のピラミッド内で発見されたそうです。

Menkaura




中央はメンカウラー王、左はハトホル女神ですが、右は諸説があるようで、(複数作られていて)上下エジプトを各々表す地方(州)の神(の一つ)であるとか、メンカウラー王の后であるとか・・・・・・・こちらも見てください。右の頭上のレリーフの違いに注意。




入口から入って1階を時計回りに巡ります。47号室(通路)を過ぎて右に回ると42号室で、ここのテーマは役職の者の像。


まず、ギザの三大ピラミッドの2番目を造ったファラオ・カフラー王(Khafre)で、後頭部にはホルス神が羽を広げて守護しています。

Cairo Ancient and Modern




世界最古の木造肖像彫刻といわれる神官(官僚?)カー・アペル(Ka-aper)の像。発見者の村の村長に顔が似ていたので、「村長の像(The Sheik-el-Beled)」というニックネーム・・・・・。

Sheik-el-Beled




書記の坐像(Seated Scribe)。ルクソール博物館でも書記を紹介(投稿はこちら)していますが、こちらの書記像の保存状態は特に良いものであるとか。

Cairo Ancient and Modern




隣の32号室。その中から37号室へ行くようになっていました。(掲載のレイアウトと若干違います)
ここは微笑ましい夫婦をテーマとしているようです。


32号室には、王の衣装係だったといわれるセネブと家族の像(Seneb and his wife)。セネブは小人症ですが、このような配置にする事で、家庭の温かさを示すと共に見る側に安堵感を与えてくれます。子供が口に指を咥えているシグサは、この時代の幼児の定型的な表現法との事。

Seneb - Cairo museum



発見場所は、カフラー王のピラミッドの北にあるセネプの墓であるという話しと、クフ王のピラミッドの横にある娘のピラミッドに入っていたという話しがあります。後者の話しから、セネブの妻とはクフ王の娘で、小人ゆえにクフ王が結婚を許さなかったが、5回目(?)の申入れで許されたという話しに繋がっています。(裏付けの資料はありません・・・・)



32号室にはもう一つの夫婦像、ラヘテプとその妻ネフェルト(Rahotep and Nefert)の像があります。ラヘテブはクフ王の兄弟で神官であったといます。尚、ラヘテプが右親指を立てるのは「愛している」事を伝え、妻ネフェルトが右手を胸に置くのは尊敬を示すそうです。

Cairo Ancient and Modern




37号室は、クフ王の母であるヘテプヘレス王妃の特別展示室になっていますが、その片隅に現存する唯一のクフ王の像があります。高さは7.5cm。

DSC06498




26号室(通路)にはメンチュヘテプ2世像があります。メンチュヘテプ2世(Mentuhotep II)は、古王国時代後期の混乱を収めエジプトを再統一して、中王国時代の基礎を作ったファラオです。解説はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「エジプト第11王朝」の項を参照(英語版は"Mentuhotep II"の項を参照)。


piedra pintada




第11号室(通路)にはハトシェプスト女王の頭部像があります。これまでに投稿したように、ハトシェプスト女王葬祭殿(投稿はこちら)を造った当人ですが、ハトシェプスト女王のオベリスク(投稿はこちら)と同様に、トトメス3世から事跡を抹消された為に殆どのレリーフや像が壊されました。葬祭殿の砂の中から発見されたといいます。

Hatshepsut large head



 
posted by 鎌倉太郎 at 23:55| 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月15日

エジプト旅行(20):アレクサンドリア市内観光(2)

エジプト旅行の全体行程などについては、以前の投稿にあります。



ツアー7日目はアレクサンドリア市内観光では、カイトベイの要塞、カタコンベ、ポンペイの柱、アレクサンドリア博物館を訪れましたが、今回はアレクサンドリア博物館。



アレクサンドリアでの博物館としては、別途5年計画で改築(建替え)をしているそうで、その一部の収蔵品が展示されています。現状の「アレクサンドリア博物館」というのは、建替えの為に完全に休館するというのは問題であるとして、ある富豪が自分の私邸の利用を申出た事で実現したもの。いくら富豪といっても本来の博物館と比べれば小さく、3階建てで階段を中心に両サイドに、各フロアでいくつかの部屋を使った小規模な展示となっています。


アレクサンドリアの沖の海中では、クレオパトラ縁の町跡が発見された事もあり、それらの一部でも展示してあるかと期待していたのですが、それらの展示は一切無しとの事。
クレオパトラ縁の町跡の各種遺跡などは、海中ミュージアムとして見せられるように企画を進めているとの事でした。


ここはビデオ/写真は自由に撮影できました(フラッシュは不可)ので、以下に幾つかの展示品を掲載しておきます。有名なものも含んでいます。(サムネイルのクリックで拡大)


































 
posted by 鎌倉太郎 at 22:13| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-エジプト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする