2012年07月25日
悠久 トルコの旅(27):イスタンブール - グランド・バザール
今回のトルコ旅行で最後の場所がグランド・バザール(こちら)。
ボスポラス海峡クルーズが終わった後再びバスに乗り込み、混まない最短コース(?)なのか(or 道を間違えたのか)、アヤソフィア博物館の前やこんな細い曲がった道路を大型バスで通過・・・
兎に角駐車場に着きました。早速ガイドの案内で「gate 1」となっているグランド・バザール(Grand Bazar、[トルコ語] Kapalıçarşı)の入口(こちら)から中へ入ります。バザール内は各自で自由行動。
こちらは「gate1」から伸びるメインの通りです。
トルコ語の"Kapalıçarşı"は「屋根付き市場」の意味ですから、今で言うアーケード(arcade)商店街で、ただ屋根部分はシッカリした作りです。1店毎には間口が狭く、奥行きもあまりありませんが、置いている商品は種類・数量ともにとにかく豊富。
碁盤の目のように通りができていて、こちらやこちらがメインの通りから横に伸びる通りです。
店の数は想像もできませんが、ガイドブックによると4,400軒程との事。集合時間を気にしながらあまりメインの通りから離れないようにしながらの(迷子にならないように・・・)散策でした。
入った「gate1」に戻って、商店などが並ぶ来た道(こちら)で再び駐車場エリアに戻りました。
バスに戻ってビックリ。平行してバスが並ぶのは当然として、その出る方向にバスがふさぐ様にして停車していました(こちら)。
とにかく移動してもらって駐車場を脱出、空港へ向かう事ができました。
2012年07月09日
悠久 トルコの旅(26):イスタンブール - ボスポラス海峡クルーズ(2)
トルコ最終日第7日目のボスポラス海峡クルーズについて、前回に続いて写真だけ掲載・投稿します。
クルーズルートを再掲しておきます。
ルメリ・ヒサル(Wikipedia日本語版、Rumelihisarı、[トルコ語] Rumeli Hisarı) - 海峡を睨むヨーロッパ側要塞
ルメリ・ヒサル(アジア側沿岸近くからの遠景)
ファーティフ・スルタン・メフメト橋(通称第二ボスポラス橋、Wikipedia日本語版、Fatih Sultan Mehmet Bridge、[トルコ語] Fatih Sultan Mehmet Köprüsü)
ファーティフ・スルタン・メフメト橋の遠景 - 右がアジア側(パノラマ処理。巧く重なっていません・・・)
ベイレルベイ宮殿(Beylerbeyi Palace、[トルコ語] Beylerbeyi Sarayı) - スルタンの夏の離宮。橋はボスポラス大橋
クズ塔(Kz Kulesi) - 古代ギリシャ時代に最初の塔が築かれ、東ローマ帝国時代に要塞化された。その後、灯台として利用され、現在はレストランと展望台
海上から見たトプカプ宮殿(残った一部の城壁が見える)
海上から見たトプカプ宮殿(金角湾への入口)
海上から見た旧市街地(橋はガラタ橋)
2012年07月05日
悠久 トルコの旅(25):イスタンブール - ボスポラス海峡クルーズ(1)
トルコ最終日第7日目はボスポラス海峡クルーズとグランドバザール見学でした。今回はボスポラス海峡クルーズについて2回に別けて投稿します。
イスタンブールの新市街の埠頭から100人から200人はゆうに乗船できそうな船が、40人弱の専用クルーズ船でした(ツアー募集における謳い文句の1つ)。
ボスポラス海峡クルーズの概略ルートはこちら。
ヨーロッパ側の沿岸を見ながらボスポラス海峡を北上し、ファーティフ・スルタン・メフメト橋(通称第二ボスポラス橋)を超えた所で反転、アジア側の沿岸に近づけて南下しました。
クルーズは海峡に沿っての景色を楽しむのが目的ですから、説明なしに(Wikipediaのリンクを付けて)以下で写真を掲載します。
ドルマバフチェ宮殿(Wikipedia日本語版、Dolmabahçe Sarayı)と市街地 - パノラマ処理
ジラガン パレス ケンピンスキー イスタンブール ホテル (Wikipedia日本語版、Ciragan Palace Kempinski Istanbul Hotel、チュラーン宮殿、Çırağan Palace、[トルコ語] Çırağan Sarayı)
Ziya Kalkavan Anadolu Denizcilik Meslek Lisesi(「Ziya Kalkavan Anadolu海事高等専門学校」とでも訳す?)
ボスポラス大橋(Wikipedia日本語版、Bosphorus Bridge)
建ち並ぶ高級別荘と停泊するプライベート・クルーズ船
海上レストラン(写真右側)
ボスポラス大橋の遠景(右橋脚の手前に海上レストラン見える)
エジプト領事館(Mısır Konsolosluğu)
別荘地区の風景
以降は次回にします。
2012年07月03日
悠久 トルコの旅(24):イスタンブール - 新市街(地下ケーブル、イスティクラール通り)
イスタンブールの旧市街でブルーモスク→アヤソフィア→トプカプ宮殿を巡った後は、新市街で地下式ケーブル電車のテュネルに乗り、イスティクラル通りを散策しました。
旧市街(Google地図の下部)と新市街にあるテュネルやイスティクラル通りの位置関係はこちら。
地下式ケーブル電車のテュネル(またはイスタンブル・トンネル、[トルコ語] Tünel)は、ガラタ(Galata)橋の近くの(地下)乗り場(カラキョイ駅)から丘の上の駅(テュネル広場駅)まで、僅か3分間・1駅間だけの地下鉄です。但し、ロンドン地下鉄に次いで世界で2番目に開業(1875年)しています。
カラキョイ駅の構内からトンネル内を見た所がこちら。
線路内を見るとケーブル式である事が認識できます。
車両はこんなでとても綺麗。時間帯が夕方である為か、観光客や現地の人で車内は満員状態で運行していました。頻繁に発車するので殆ど待ちはありませんでした。
さて、イスタンブールでハイセンスな地区とも云われるイスティクラル通り(İstiklal Avenue、[トルコ語] İstiklâl Caddesi)は、こちらやこちらような歩行者天国のようになっていました。İstiklâlは「独立」という意味。
通りや近くには歴史的建物などもあるようですが、時間の関係で通りを少し散策しただけになりました。
既に夕陽が沈もうとする時間になっていて、ベリーダンスのショーを見ながらの食事会場へ。ショーについては投稿を省略・・・
これでアンカラを午前7:00に出発して450kmのバス移動、イスタンブール(旧市街地、新市街地、ショー)の見学を終えて、第6日目のスケジュールが終了。移動距離も大きければ観光内容の密度も高い1日でした。ホテルに着いたら、最終日の午前中にあるボスポラス海峡クルーズに備えて、直ぐに熟睡しました。
2012年06月27日
悠久 トルコの旅(23):イスタンブール - 旧市街(トプカプ宮殿) (2)
今回はトプカプ宮殿(Topkapı Palace、[トルコ語]Topkapı Sarayı)の「第三の庭園」と周りにある建物から成る内廷です。
トプカプ宮殿の本体部分のレイアウトをこちらに再掲しておきます。
レイアウト図の番号37「幸福の門(Gate of Felicity)」を抜けた所に「謁見の間(Audience Chamber)」(番号39)がありますが、ここは工事中で見学できませんでした。
多くの見所がありましたが、時間の都合もあってその一部を見学。
第1が番号58の「宝物館(The Imperial Treasury)」(こちら)。
財宝や衣装などを展示していますが、宝物館へのカメラ持込みは禁止になりましたので、他のウェブサイトの写真を借用します(解説もありますが英語)。
86カラット! 有名なKasikci Elmasi「スプーン屋のダイヤモンド (Spoonmaker’s Diamond)」
巨大なエメラルドをはめ込んだ「トプカプの短剣(the Topkapı Dagger)」
Topkapi Dagger via kwout
第2はボスポラス海峡の眺めです。レイアウト図の番号80付近で見る事ができます。下の2枚は何れもパノラマ処理しています。
対岸のアジア側市街地(右はマルマラ海)
ボスポラス海峡(遠景の橋はボスポラス大橋、奥への方向が黒海へ通じる)
中央の船はヨーロッパ側とアジア側を結ぶフェリー。
第3がレイアウト図で番号40のアフメト3世の図書館(Enderûn Library 、Library of Ahmed III)。図書などはありませんがその内装は一面のイズニックタイル(İznik tiles)です。
図書館の入口前の花壇には、チューリップが咲いていました(こちら)。
その中に黒のチューリップも(こちら)。黒いチューリップってあるんですネ!
2012年06月26日
悠久 トルコの旅(22):イスタンブール - 旧市街(トプカプ宮殿) (1)
今回はトプカプ宮殿(Topkapı Palace、[トルコ語]Topkapı Sarayı)です。15世紀に建設されて19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。
古くはこちらのようにボスポラス海峡と金角湾(Golden Horn)に直接接していたようですが、現在は海岸側のエリアに鉄道線路を敷設したり道路を整備しています(海側を埋め立てた?)。
まず、こちらの「皇帝の門(The Imperial Gate)」から入ります。
門を抜けた所のこちらが「第一の中庭」と呼ばれます。
この奥に見えるこちらが「挨拶の門(Gate of Salutation)」で、城壁の内部が皇帝の私邸エリアとなりトプカプ宮殿の本体部分になります。
トプカプ宮殿の本体部分のレイアウトはこちらのようになっています。
番号2が「挨拶の門」です。番号5の一帯が「第二の庭」で、奥の正面に「幸福の門(Gate of Felicity)」(こちら)があります(番号37)。
近くで見上げればこのように豪勢な造りです。
向かって左側のこちらがハーレムの入口。
反対側の向かって右側にあるこちらが陶器コレクションが置かれている、かつての厨房。
今回は残念ながらハーレムにも陶器コレクションにも入りませんでした。
「幸福の門」を抜けると、「第三の庭園」と周りにある建物が内廷になります。ここは次回に投稿します。
2012年06月23日
悠久 トルコの旅(21):イスタンブール - 旧市街(アヤソフィア) (2)
前回は「アヤソフィア(Hagia Sophia、[トルコ語]Ayasofya)博物館」のキリスト教サイドから投稿しましたが、今回はイスラム教サイドのポイント。
アヤソフィアは元来キリスト教の礼拝堂でしたが、イスラム教のモスクとして活用するに当たって、モザイク画を漆喰で塗りつぶしたり、ミナレット(Minaret、尖塔、[トルコ語]Minare)を設置しています。それ以外にも幾つか加えています。
まず内部は前回に掲載した通りこのようでしたが、各々の位置関係がわかると思います。
第1がメッカの方向を示すミフラーブ(Mihrab)でこちら。
第2はアッラーやムハンマドと4人のカリフなどの名が記された黒地に金文字のカリグラフィー(Calligraphy)の円板でこちら。
第3は階段状の説教壇(ミンバル、Minbar)でこちら。
第4はスルタンがモスク内で祈りをする場所でこちら。
モスクの外ですが、次に訪問したトプカプ宮殿の皇帝の門の前にある「アフメト3世の泉」(泉亭)でこちら。
別途アヤソフィア見学の入口脇にあった泉亭に比べるととても豪華です。名前の付けられたアフメト3世(Ahmed III)の世は、オスマン帝国の衰退の時代を迎えていましたが、ロシアやローマ帝国などとの戦争の後で領土喪失と引き替えに対外関係が安定し、繁栄した時期(1728年)に建てられました。
尚、これまで私が見てきた典型的なモスクでは中庭に泉亭がありました。アヤソフィアはキリスト教の礼拝堂を流用している訳ですから、礼拝の前に体を清める為の泉亭は形式に囚われずに造られたのでしょう・・・(これは想像ですが)
2012年06月22日
悠久 トルコの旅(20):イスタンブール - 旧市街(アヤソフィア) (1)
前回に続く旧市街の見学で、今回は「アヤソフィア(Hagia Sophia、[トルコ語]Ayasofya)博物館」で、ビザンツ建築の最高傑作といわれます。
前に訪れたブルーモスクとの間にある広場から撮った(ガイドのお奨めポイント)のがこちら。
まず歴史の確認から。
東ローマ帝国時代の4世紀に最初の(小さな)聖堂が作られました。幾たびか焼失・再建を繰り返しましたが、537年に殆ど今の姿になり1453年の東ローマ帝国の滅亡までキリスト正教会の大聖堂でした。
その後オスマン帝国時代は4本のミナレットを作ってイスラム教のモスクとして転用されました。その際キリスト教のモザイク画を漆喰で塗りつぶす方法を採っていたので、19世紀の改修時の調査でモザイク画が発見され、トルコ革命で初代大統領のアタテュルクが博物館として公開する事にしました。
アヤソフィアとは、「聖なる知恵」を意味しています。その内部構成はこちらのようになっています。
我々が入ったのが図の左側から(上掲写真の左側)で、入口部分はこちらのようになっています。
写真右端の大きな入口が皇帝の入口(imperial entrance)で、上部にはこのようなモザイク画が残っています。
「キリストと皇帝」
私は遠慮して横の入口から本堂に入りました・・・ドーム内で一旦ガイドから全体的な説明を受けてから、(ガイドのサジェッションに従って)まず2階に上がりました。2階へ登るには上掲構成図の11時の方向にある傾斜道(ramp to galleriesの表示)を使います。
2階はこのようになっています。
2階からドーム内部を撮ったのがこちら。
2階部分にはモザイク画が断片的に表出しているのを見る事ができます。写真に撮ったものを掲載しておきます(説明はこちらを参照)。
「聖母子」(Virgin Mother and Child)
「デイシス」
「キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ」
「聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后エイレーネー(イリニ)」
「????」
2012年06月21日
悠久 トルコの旅(19):イスタンブール - 旧市街(ブルーモスク)
昼食後のイスタンブール旧市街観光でブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿の位置関係はこちらのようになっています。左下から右上の順にブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿です。
最初はブルーモスクといわれる「スルタンアフメト・モスク(Sultan Ahmed Mosque、[トルコ語]Sultanahmet Camii)」。Camii(ジャーミィ)はモスクの意。現役のイスラム教の祈りの場で、オスマン帝国時代の建築(1616年完成)の傑作といわれます。
次に訪れたアヤソフィア博物館との間にある広場から撮った(ガイドのお奨めポイント)のがこちら。
ミナレット(尖塔、minaret、[トルコ語]minare)は4本だけが見えますが、6本あります。地方の町々にあるモスクは1本乃至2本です。アヤソフィア博物館は4本ですし、エジプト・カイロのムハンマド・アリー・モスク(イスタンブールのモスクを模したといわれる。訪問記はこちら)でも2本でした。
ガイドにミナレットの本数に関して基準があるかと質問したら、「寄付した人の気分しだい」との事でしたが、財力と権威付けをどの程度と考えるかという事でしょうか。ただ、ブルーモスクについては、設計者がスルタンからの「黄金(Altun:アルトゥン)」のミナレットという所望を、「6(Altı:アルトゥ)」("ı"は"i"ではない)と聞き間違えたという話しもあります。
見学手順で祈りの時間帯を避けてくれたので中まで入る事ができました。こちらで若干行列になり内部も多くの人がいました。
残念ながら(泉亭がある)中庭は見られませんでした。内装はブルーモスクといわれるだけあって、青を中心としたイズミックタイルの装飾が綺麗でした(こちらやこちらやこちらやこちら)。
見学の出口からアヤソフィア博物館へ向かう所でチューリップが満開になっていました。訪問時期が若干遅かったのですが、こんな様子を見られて良かった・・・
所で、チューリップはトルコ(や中央アジア)が原産地です。トルコからオランダに贈呈したものが改良されて世界中に広まり、今ではオランダが原産国というイメージでした。考えてみればイギリスなど西欧諸国は大航海時代に世界中の植物を収集している訳ですから迂闊だったといえます。トルコの「チューリップ時代」と呼ばれる時期(18世紀)には、西欧でのチューリップ栽培熱が「逆輸入」され、チューリップの栽培が流行しました。
2012年06月19日
悠久 トルコの旅(18):首都アンカラを経由して最終観光地イスタンブールへ
第5日目はカッパドキア近辺を夕方まで観光しトルコの首都 アンカラ(Ankara)に向かいました。280km以上の距離を移動しました。ホテルに着いたのもかなり遅くになっていました。
ホテルに落ち着くまでにはチョットしたハプニングがありました。一旦着いたホテルでスーツケースなどをバスから降ろしたのですが、実はホテルが違っていたのです。ガイド・添乗員がチェックインをしようとしたら、ホテル側から予約が入っていないと言われて真っ青! ガイドと添乗員が確認をしたら何の事は無い、ホテル変更があった事を相互確認していなかっただけで、変更後のホテルに移動する事で事無きを得ました。
長距離移動でボーっとしていただけに、車内は大爆笑(ガイドと添乗員は苦笑い・・・?)ですっかり疲れが取れてしまったようでした。
さて、場所とツアールートの確認で、Google地図などを再掲しておきます。
アンカラはこちら、中央アナトリア地方になります。
ツアールート
アンカラでの観光はありません。宿泊ホテルは広い部屋で設備も良かったのですが、荷物も殆ど解かずに寝込んだ後、第6日目もホテルを朝7:00に出発して一路イスタンブールへ向かいました。その距離は450km以上。
さすがに首都とトルコ第一の都市を結ぶ地域・ラインとあって、途中の景色はこれまでと比べて道路も建物も整備されている感じ。
団地も大規模(こちら)、山の中にも住居が建っているようになったし(こちら)、高速道路の車線数も増加(こちら)。
これまでに観光地の説明は勿論、日本-トルコ間の交流の歴史(エルトゥールル号難破事件、イラン・イラク戦争時のテヘラン邦人救出劇、山田 寅次郎など)の話しも出ていました。ツアーも最後に近づいてきたのでガイドからの話しも種切れ(?)になってきた事もあって、(それまでも気楽に質問もできていましたが)質問コーナー的な時間が取れました。ガイドからはEUを含む隣国に対するトルコ人の考え方、イスラム教と自爆テロに対するトルコ人の意識などを語ってもらいました。同行の人からはよく勉強してきたと思われる質問もあり非常に有益な時間になりました。
そうこうしている内にボスポラス大橋を渡りボスポラス海峡のアジア側からヨーロッパ側に入りました。その時の映像がありますのでYuoTubeに動画登録しました(こちら)。
ボスポラス海峡は、これからのツアーの中でトプカプ宮殿から見ますし、海峡クルーズでも見るのですが、橋の上から見るのもいいものです。
ボスポラス大橋を渡りきった所で振り返ったのがこちら。
ここからは話しに聞いていたイスタンブールの渋滞。
それでも通勤時間帯ではない(昼頃)ので混雑は少なかったようです。
昼食をしていよいよイスタンブール旧市街の観光になりますが、それは次回以降にします。