両側手前は神殿でした。
「死者の大通り」はこちらの様に少なくとも4㎞はあります。「死者の大通り」と名付けたのは、12世紀頃に「テオティワカン」を発見したアステカ人でした。アステカ人は両側の神殿を王たちの墓と認識した様です(尤も、発見当時は荒れ果てていて、現在の様に復元された状態ではなかったでしょう・・・)。
中央奥に見えるのが「太陽のピラミッド」です。「死者の大通り」の途中にあるにも関わらずこの地域では最も高い構造物になっています。実は「太陽のピラミッド」と名付けたのもアステカ人で、何を崇めたものなのかは分かっていません。
今回のメキシコ旅行ではピラミッドに登る事がテーマの一つとなっていましたので、神聖な場所ではありますが遠慮なく(?)登らせてもらいました。こちらは「月のピラミッド」から「死者の大通り」を見渡した所です。

最初の写真で分かる通り、階段は3層で見えますが、最初の層まで登頂可能でした。
都市として栄えていた時代は、ピラミッドに登れるのは祭祀を行う神官のみだったでしょう。しかし、当時の人達の背丈は現代人より低かったでしょうから、ロープが張ってある現在と違って、神官といえども階段に両手を突いて登らざるを得ません。つまり、階段の急傾斜は神を祭る神域に敬意を払う構造になっていると云われます。