2019年01月03日

萩・津和野・宮島の旅(6) 萩の城下町


第2日の4番目は宿泊地でもある萩市の旧市街でした。毛利氏が治めた長州藩の本拠地である城下町(萩城下町)として閑静な街です(こちらを参照)。




指月山の麓に「萩城」があります(上掲Google地図の左上)。その近くに上位の武家屋敷が集まっていて、こちらの門を通らないと内に入れないようになっていたとか(尤も三の丸部分に当たりますから、前の水路が外堀の役割を果たしていました。更に三角州を構成する川が本当の外堀)。




しかし、明治維新で活躍した下級武士の生誕地は、お城からかなり離れた場所でした(上掲Google地図の右下)。添乗ガイドによると、「関ヶ原の戦い」に西軍として参加して破れた為領国を4分の1に減封されたのですが、家来筋を殆ど減らさずにいたので城下町が大きくなり、下級武士の家並みはお城から離れた位置になったとの説明でした。

萩の観光では夕方日暮れも間近になり屋敷公開の終了時間が迫っている事もあり、屋敷内の見学ができたのは「木戸孝允旧宅」と「菊屋家住宅」だけでした。



広くない地区でしたが、大急ぎで路地から正面の門などを撮りました。以下は敬称を略します。

こちらは「円政寺」で、高杉晋作伊藤博文らと関わりがあったようです(当時は法光院)。金毘羅社でもある神仏習合の寺院ですが、『拝殿には朱色の大きな「天狗の面」がかけてあり、高杉晋作は子供の頃、家人に連れてこの天狗の面を見せられ、物おそれしないように躾けられたという逸話がある』(Wikipediaより)そうです。




こちらは「木戸孝允(桂 小五郎)旧宅」の玄関先の門です。



通用口から入りましたが、武士の家だけあって各部屋はシッカリした造りになっていました(こちら)。




こちらは「菊屋家住宅」で豪商の住まいです。元は中世期大内氏に随身した武士でしたが同氏滅亡後は町人となり、毛利家への貢献により藩の御用達を受けるほどでした。



庭も素晴らしく(こちら)、屋内には当時の品々を展示していました(こちら)。





ただ、全体の(右)半分ぐらいが公開対象だったのは残念でした(こちらを参照)。




高杉晋作生誕地がこちら



近くの広場には像が立っていました(こちら)。




posted by 鎌倉太郎 at 17:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日記-日本の旅 | 更新情報をチェックする
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