2012年05月17日
悠久 トルコの旅(5):エフェソス遺跡(1)
第3日目はイズミル(イズミール)を経由してエフェソス(Ephesus、[古代ギリシャ語]Ephesos、[トルコ語]エフェス、Efes)遺跡(とアルテミス神殿)を訪れました。今回のツアーの観光地の中で古代都市遺跡としては最大のスポットでした。しかし、世界遺産に登録されていない・・・
エフェソスはこちら(エーゲ海沿岸地方)。
ツアールート
エフェソスは、古代ギリシャ時代から共和制ローマ・古代ローマ帝国・東ローマ帝国に掛けての都市遺跡で、アラブ人の攻撃を受けるようになって放棄する8世紀頃まで経済活動など活発に行われていました。
エフェソス遺跡のマップはこちら。
最盛期にはこんな想像図のような景色が見られたようです(裏付けは不詳ですが、イメージが湧きます)。
上記の遺跡マップで[1]のゲートから入りました。まず遺跡マップで[3]が共同浴場で現在の様子はこちら。想像図は①。床下暖房などローマ風呂になっていたそうです。
こちらはバシリカ(Basilica)。遺跡マップで[6]に対応する所ですが、長方形平面の列柱に屋根を持った集会施設などの多目的ホールになっていたようです。写真で列柱の左がアゴラ(Agora)と呼ばれる集会や商取引などに利用した広場の跡。
上掲の想像図で③(アゴラ)や④(イシス神殿)を囲んでいる回廊のような部分です。列柱に屋根が載っている光景を想いうかべてください。こちらは教会ですが、中央の長椅子が無いような光景だったのでしょうか・・・
こちらはオデオン(Odeon)でコンサートホールと集会場の両面の役割を持っていたようです。遺跡マップの[4]、想像図の②です。1500人を収容したとの事です。更に小規模なオデオンはトロイ遺跡にもありました(こちらを参照)。
こちらが公会堂(Prytaneion)。遺跡マップの[5]、想像図の⑤です。かつての建物のイメージは全く想いうかびません。一部の柱を発掘後に組立てていますが、濃い茶色の部分はコンクリにしてオリジナルの素材と区別しています。
公会堂の前を過ぎた辺りから下り坂になります。大理石を敷き詰めていますが、滑らないように溝が掘られていました(こちらを参照)。
こちらがポリオの泉(Fountain of Pollio)。遺跡マップの[10]、想像図の⑥です。ポリオは建てた人物の名前。
こちらがドミティアヌスの神殿(Temple of Domitian)。遺跡マップの[11]、想像図の⑧です。ドミティアヌス帝の治世は良くなかったようで、暗殺された後この神殿は取り壊されました。
この辺りには彫った大理石が多数置かれています。例えば勝利の女神ニケ(ニーケー、Nike)のレリーフ(こちら)。スポーツ用品メーカーのナイキはニケの英語読みで、商標もこのレリーフの一部から採られたというのも有名になった話し。
ここから先は次回の投稿にします。
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
この記事へのトラックバック