2012年05月10日

悠久 トルコの旅(3):トロイ遺跡


トロイ遺跡(Troy、イリオス、Īlios、トロイア、Troia)といえば、ハインリッヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann)がホメーロス(Homer、ホメロス)の長編叙事詩「イーリアス(Iliad、[ラテン語]Ilias)」を事実と信じて発掘に情熱を傾けたという話し(成功話としての意義付け?)や、トロイ戦争のストーリー(映画に拠る?)と木馬の話しで良く知られた場所ですが、私には現実の時間との関係が不明で遊離していたように感じていました。



まず呼び方にして、私はトロイと呼び慣れていますが、資料によっては(Wikipediaでは)イリオスとかトロイア(例えばこちら)とされ、古代ギリシャ語・古典ラテン語やそのアッティカ方言として表わされます。(神話上で)時代によって支配者が自分に関連して名付ける事もありました。

イリオスはギリシャ神話の1都市で、トロイア戦争(Trojan War)も発端は「ゼウスが、増え過ぎた人口を調節する為に、大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた」という事になっていました。神話の上ではイリオスとトロイアとはある地域内にあるものの異なる都市のようです(こちらを参照)が、(ある時代以降?)何か混同しているように思われます。

ホメーロスによって作られたという「イーリアス」は長編叙事詩ですが、叙事詩は「民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす」というので、民族の成り立ちを強く強調する為の英雄伝・神話と考えれば作り話が殆どという事になるでしょうが、民族の歴史として口伝してきた話しとして解釈する事もできます。シュリーマンは地形の表現が(それなりに)具体的であった事から、(事業に成功したからと云えども、私財を投入したのは)後者と信じて、発掘に情熱を傾けたのでしょう。

しかし、現在のトルコ人からは全く評価されていないようです。それは発掘による財宝などを国外に持ち去ったから。実際にドイツに持ち出された後、現在は(第2次世界大戦時にかなり焼失してしまうが、その一部が)ロシアのプーシキン美術館に所蔵されているようです。シュリーマンについてこちらも参照。



トロイ遺跡の場所をこちらの地図で確認しておきます。


尚、こちらのツアールート地図でトロイ遺跡の位置が誤っていました。


より大きな地図で トルコ旅行2012年行程(予定) を表示



さて現在のトロイ遺跡に、トロイア戦争の時代を感じさせる事物としては殆どありません。城壁(こちら)と観光用に作られた木馬(こちら)ぐらいでしょうか。





しかし、古代から一ヶ所に何層にも渡って城・街を構築してきた事は、(専門家ではありませんが・・・)遺跡として重要と思われます。現在までに発掘されているのは9層あります(こちらこちらを参照。斜めに写った説明板の写真を変形処理しています)。発掘は城壁周辺だけで、街の広がりを示す周辺一帯は未だ発掘されていません。





第1層は紀元前3000年頃からの集落、第2層はシュリーマンが「イーリアス」に書かれた年代としたもの(実際は紀元前2500年から紀元前2200年のもの)、第6層が紀元前1800年から紀元前1300年、第7層が紀元前1275年から紀元前1240年の頃でトロイア戦争の時代と見られています。第8層がギリシャ人、第9層がローマ人による構築とされ、500年頃に遺棄されたようです。

紀元前3000年頃というと、古代エジプトのピラミッド建設が行われた古王国(紀元前2986年-紀元前2181年)が始まった時代です。



見学コースは決められていて概ねこちらのマップ順路です(見学マップによって層別(年代)認識に差異があるようです。こちらと比較)。

②が上掲の城壁。



見学コースにある遺跡は層によって(ランダムに)分かれた状態で見る事ができますが、こちらは複数層の重なりで見る事ができます。




層による遺跡として形がそれなりに分かるのは、

第6層の坂道 - 城門跡(?)。上掲の見学コースマップの③



第9層 ローマ時代の聖域 - 上掲の見学コースマップの④



第9層のオデオン(Odeon) - 小規模な劇場(?)、ガイドによると限定した人達の議論の場。上掲の見学コースマップの⑤




 
ラベル:トルコ TURKEY
posted by 鎌倉太郎 at 10:27| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記-トルコ | 更新情報をチェックする
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