ツアー7日目はアレクサンドリア市内観光として、カイトベイの要塞、カタコンベ、ポンペイの柱、アレクサンドリア博物館に訪れました。
まず、カイトベイの要塞。カイトベイの要塞は15世紀の建設という事で、それ自体歴史的なものですが、特に観光コースに入っているというのは、「古典古代における世界の七不思議」の一つであるアレクサンドリアの大灯台(ファロス島の灯台)があったからです。
アレクサンドリアの大灯台(想像図)
「古典古代における世界の七不思議(Seven Wonders of the Ancient World)」についてはこちらを参照(英語版はこちら)。
アレクサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)についてはこちらを参照(英語版はこちら)。
クフ王のピラミッド以外は全て崩壊・消滅してしまったのですが、アレクサンドリアの大灯台の残材を使って、カイトベイの要塞を建設したという事です。
以前の記事にも書いていますが、この時に強い風と(エジプトにとっては珍しい)雨に見舞われて早々に退散。
次がカタコンベ。カタコンベ(catacomb)とは、一般的に地下の墓所であるとの事。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(英語版はこちら)を参照。
アレキサンドリアのカタコンベはエジプトで最大のものといわれ、「コム・エル・シュカファのカタコンベ(Catacombs of Kom el Shoqafa)」と呼んでいます。Wikipediaの英語版に解説があります。
この入口チケット売り場から先は、ビデオ/カメラが持込み禁止なので、Webサイトの写真・図を借用します。
地下への入口はここ。
地下のレイアウトは下図のようになっています。
入口からは螺旋階段で右下の小さい方の円部分を降りていきます。降りきった所で大きい円と四角のエリアにでます。四角のエリアは、宿泊できるようになっていて、お参りに来た人たちが2~3日間をここで過ごすのだそうです。
大きい丸のエリアから左上の方向は下りる階段になっていて、その先は礼拝所になっていたようです。その写真がこれ。
礼拝所の周りの区切られているエリアがこの写真。
現在、このレベルのもう一つ下まである事が判っているのですが、地下水が上がってきて浸水状態だそうで降りる事ができません。
次が「ポンペイの柱」。
柱1本とスフィンクスが2体(見辛いですが・・・)あるだけですが、その建立の背景・経緯などは良く判っていないようです。
ローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた図書館の跡とか、セラピス神殿から一部を持ってきた(だけが残った)ものとも、ローマ皇帝の食糧支援に感謝した市民が立てた(ルクソールから持ってきた?)とも云われており、よく判っていないというのが実際のようです。
「ポンペイ」という背景についてはよく判りませんが、こちらも参考にチェック。
尚、日本のガイドブックなどでは、日本語では「ポンペイの柱」でアレクサンドリアの遺跡を指しているようですが、英語の用語としては、「Pompey's Pillar」と「'Aamuud is-Sawaarii」の何れかが使われています。
encyclopedia Britannicaでは「Pompey’s Pillar < monument, Alexandria, Egypt >」を、Wikipediaの英語版も「Pompey's Pillar」をアレクサンドリアのモニュメントとして使っています。
Googleの書籍検索の場合も、「Pompey's Pillar」であれば多数の検索結果が出てきますが、「'Aamuud is-Sawaarii」では0件という状況。
それよりもっと重要な新情報では、2007年にこの遺跡の地下に倉庫(図書館?)が見つかって、パピルスの書籍が数千点発見されたとの事。プトレマイオス1世によってアレクサンドリアに建てられたアレクサンドリア図書館の蔵書であった一部ではないかというのが、今回のツアー・ガイドの説。
「アレクサンドリア図書館(Library of Alexandria)」についてはこちらを参照(英語版はこちら)。
実際にその地下通路に入りましたが、(地下深くまで続いているようですが、帰れなくなると困るので・・・・)途中で引き返しました。何か新しい事実がわかると良いですネ・・・・
尚、今の新アレクサンドリア図書館は、焼失したアレクサンドリア図書館の精神を引き継ごうと2002年に開館しています。
近代的な建物が新「アレクサンドリア図書館」
参考までに、アレクサンドリアはカイロに次ぐ第2の都市で、海岸に沿った道路にビルがずらりと並び、素晴しい景観はどこかのリゾート地のホテル群のように見えました。ツアー6日目夕方と7日目朝の海岸通りの写真を掲載しておきます。
夕方の海岸通り
朝の海岸通り