ツアー5日目の午前がルクソール西岸観光でした。メムノンの巨像、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿の順。
まず、メムノンの巨像では見るものは、名前の通りアメンホテプ3世(Amenhotep III)の巨像2体のみ。
しかしこの巨像の後置には、かつてはアメンホテプ3世葬祭殿があったのですが、後のメルエンプタハ王が自らの葬祭殿を作る時の建材にしたといいます。アメンホテプ3世は第18王朝最盛期のファラオであった訳ですから、壮大さは如何ばかりかと推察します。メルエンプタハ王は、セティ1世、ラムセス2世などの第19王朝に分類されていますが、どちらかというと王朝末期のファラオ。第18王朝から第19王朝へは王位の禅譲があったといいますが、末期まで来るとその気持ちが薄れるのでしょうか。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考)
さあ、次が王家の谷の見学になります。墳墓を観光する(というのも、厳粛ではありませんが・・・)のに、気持ちがワクワクしてしまうのは申し訳ない事ですが、これまでに王家の谷を紹介している墳墓内の映像などが素晴しいので、当然実際に見られる事への期待があった訳です。
王家の谷の入場チケットは80L.E.(エジプト・ポンド)ですが、このチケットでツタンカーメン王墳墓以外の王家の谷にある墳墓の3つまで見られます。ツタンカーメン王墳墓は100L.E.です。(2009年2月現在)
我々のツアーとしては、ラムセス1世・ラムセス4世・ラムセス9世を見ました。そして、ツタンカーメン王を加えた計4ヶ所を見学しました。墳墓の中はビデオ/カメラは一切禁止。王家の谷自体はカメラの撮影はOKです(ビデオは不可)。
まず、ツタンカーメン(Tutankhamun)王の墳墓から。解説はこちらを参照(英語版はこちら)。
ガイドからはツタンカーメンの呼び方について何度もいわれました。というのは、「Tutankhamun」ではなく、「TUT ANKH AMUN」だからとか。厳密に読めば、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でいう通り、"トゥト アンク アメン"となって、「アモン神の生ける似姿」の意味が明確に伝わるようになります。(しかし、正しい発音で使っていけるかな・・・・?なので、ツタンカーメンで通します)
殆どの解説書(Wikipediaを含め)で「Tutankhamun」のように区切らずに用いています。これをローマ字読みにすれば、当然ツタンカーメンとなっても不思議ではありませんネ。
有名な日本語のガイドブックでは「トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)」という表現で通していました。
「Encyclopedia Britannica」では、「TUT-ANKH-AMUN」や「TUT ANKH AMUN」では検索できませんが、「TUTANKHAMUN」としてなら検索ができました。
一方、The New York Times誌Web版は、「Tut-ankh-Amen」という表現を使っているようです。
英語では「Tut」でツタンカーメン王を指すようですが、どういう経緯で使うようになったのでしょうか・・・・知っている人は教えてください。
話しを本筋に戻して、ツタンカーメン王の墳墓は、このような構成になっています。急死であった事が影響しているのか、レリーフではなく、彩色画になっていました。墳墓自体もラムセス1世やラムセス4世のものに比べて、小さくできていました。
YouTubeに内部を撮影した動画があります。地上の遺跡と違って通常は陽が当たらない事もあって、彩色が綺麗に残っていました。
Views inside Tutankhamen's tomb
我々が見学した時は、玄室の反対側(動画で階段を下りていった突き当りの左)に、ミイラが安置されていました。(玄室を公式カメラマンの撮影をしていた為?)
墳墓は発見された順番に「KVnn」と付けられています。ツタンカーメン王はKV62になっています(現在、最終はKV65となっていますが、その名前が判っていないようです)。
続いて、ラムセス1世(Ramesses I)。解説はこちらを参照(英語版はこちら)。墳墓はKV16。
墳墓の構成はここ。
写真で玄室を見てください。
Interior, Tomb of Ramses I, Valley of the Kings, Thebes, Unesco World Heritage Site, Egypt
更に、ラムセス4世(Ramesses IV)。解説はこちらを参照(英語版のみ)。墳墓はKV2。
墳墓の構成はここ。
こちらも写真で玄室を見てください。
Rameses IV Tomb
ラムセス9世(Ramesses IX)。解説はこちらを参照(英語版のみ)。墳墓はKV6。
墳墓の構成はここ。
玄室の写真を見てください。