ツアー初日はピラミッド見学でしたが、前2回はツアー初日午前のギザのピラミッド・エリアでした。今回はツアー初日午後の見学地であるカイロから西南におよそ20kmのサッカラ(Saqqara)と、そこから南4kmにあるダハシュール(Dahshur)。
まず、サッカラには階段ピラミッド(Step Pyramid)コンプレックスがあります。
ジェセル(Djoser)王によって建設された(イム・ホテプ(Imhotep)が関与)という事です。ジェセル王についてはこちら(英文)。
建設の方法乃至流れとしては、古代エジプトでこれ以前からあったマスタバ(Mastaba)墳を何回かの工事を繰り返して階段状にしたものであるとか。ですから、今回のガイドなどはピラミッドではなく、「階段状マスタバ」の方がいいといっています。
マスタバについてはこちら(英文)。
また、高さ62メートル、東西125メートル、南北109メートルという長方形の底面を持っているとの事ですから、正方形の底面をもつ後代のピラミッドと違うコンセプトで作られているのは確かですネ。
そうはいっても階段ピラミッドをヒントに、真正ピラミッドとして設計・建設を始めるようになった訳ですから、(世界で)最初のピラミッドといってもいいのかも知れません。
サッカラでの観光コースとしては、当時の王宮のスタイルという門を入って、列柱を通り抜けて中庭に入って、階段ピラミッドを南側から見る所まででした。ガイドブックによると北側には葬祭殿があるとの事ですが、遺跡が不安定な状態にあるのでしょう・・・・・
下のYouTube動画では、階段ピラミッドの拡張工事の模型図や、完成当時を再現する3D映像と現状の遺跡との配置対応を示してくれます。
The Step Pyramid at Saqqara in Egypt
このYouTube動画の一部映像を使って、門(入口)・列柱・中庭を示すと以下の通り。
これを認識して、階段ピラミッドコンプレックスを撮影したYouTube動画を見てください。
ジョセル王のピラミッド・コンプレックス
特に驚いたのは、門(入口)に残るこの正確な石積みが紀元前2650年頃であるという事。
ツアー初日の午後のピラミッドめぐりには、ダハシュール(Dahshur)にある屈折ピラミッドと赤のピラミッドもありました。
この2つのピラミッドは、スネフェル(Sneferu)王(クフ王の父)による建設との事ですが、屈折ピラミッド(Bent Pyramid)は失敗作で、赤のピラミッド(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、「赤いピラミッド(Red Pyramid)」)はリベンジ作という意味あいがあるようです。
解説は、こことここを見てください。
スネフェル王については、こちらを参照。
今回のツアーでは、赤のピラミッドはバスから下車して近くから見ただけ(ツアーの同行者には一部入口まで上った人がいます。内部には入れるようです)、屈折ピラミッドは遠くから薄っすらと見ただけでした。ここでは、ピラミッド・コンプレックスの形が(形が成されていたのか)分りませんでした。
赤のピラミッドの入口の写真はこちら。
赤のピラミッドから屈折ピラミッドを見た状況はYouTube動画にしています。以前の投稿では、砂嵐(といえるほどでもない)中での写真を掲載しています。
エジプト・ダハシュールの赤のピラミッドと屈折のピラミッド
さて、エジプトのピラミッド建設技術の変遷を見る為に、簡単な比較表を作ってみました。
(クリックで拡大)
スネフェル王が、赤のピラミッドでは確実性を訴求しているのが分りますし、クフ王はあらゆる点でスネフル王を超える目標としています。逆にカフラー王は父・クフ王への遠慮からか、ピラミッド自体の規模ではクフ王のピラミッドを若干劣るように作られているのが分ります。しかし、下の写真はクフ王のピラミッドの底面の位置からカフラー王のピラミッドを撮った写真ですが、明らかに底面の位置がカフラー王の方が高いのです。
結果的に、カフラー王のピラミッドのトップの方が、2.5mの差を逆転して高い事になります。
これらからクフ王の代だけで急激に技術や色々な環境が良くなった訳ではなく、蓄積した技術・知識に基づくものである事が分りました。更に、クフ王のピラミッド建設の責任者は、スネフル王時代の技術を持った者にしたという事ですし・・・・・